2013年4月14日日曜日

【海外メディア】オパレーション・トモダチ Part 1 米海軍兵の被曝


アジア太平洋ジャーナル:ジャパン・フォーカス
アジア太平洋…そして世界を形成する諸勢力の批判的深層分析

Vol. 11, Issue 11, No. 4 2013318
The Asia-Pacific Journal, Vol. 11, Issue 11, No. 4. March 18, 2013.
Fukushima Rescue Mission Lasting Legacy:
Radioactive Contamination of Nearly 70,000  Americans 
福島救援活動の永続する遺産――アメリカ人の被曝
ロジャー・ウィザスプーン
ROGER WITHERSPOON
はじめに
日本の3.11大震災・津波・核メルトダウンの犠牲者とは? 本ジャーナルは、津波で亡くなった2万以上の人びと、津波とメルトダウンとがあいまって、わが家を追われた数十万の人びと、命の危険と引き換えに、東電の原発の放射能を制御下に置くために奮闘してきた原発作業員たちについて記録してきた。ロジャー・ウィザスプーンはこの分析を、ほとんど準備や防護もないままに危険なレベルの放射線に(さら)れながらオパレーション・トモダチに従事した米国兵男女にまで拡げる。しかも軍務機関の終了後、彼ら兵士医療を受ける機会がなかった。彼らのなかには、本稿で叙述・記録されているように、被害の賠償と治療を願って、いま東電を訴えている者たちがいる。本稿は彼らの苦境と戦いに関する2回の重要記事の第1回目である。
アジア太平洋ジャーナル
(訳注:筆者Roger 6t6のサイトで4回シリーズとして掲載されたものを、APJでは、2回シリーズにまとめている)

フクシマ救援ミッションの永続する遺産
Part 1
アメリカ海軍兵の放射能汚染
ロジャー 6t6
Posted by: roger6t6 on January 31, 2013

国防総省は、日本の破損した福島第一原子力発電所から吹き流されてくる放射能の雲に捉えられた米国軍人、民間人労働者、その家族、70,000人近くにも達する未曾有の医療登録に背を向ける決定を下した。
登録更新を終了する決定は、日本国内63か所の基地に家族とともに駐在する海兵隊、陸軍、空軍、工兵隊、海軍の要員らにさまざまな形の健康問題が現れるか否か、見極める方法がなくなることを意味する。おまけに、米空母ロナルド・レーガンを旗艦とする第7打撃群配属の何千人もの水兵や海兵隊員らは、放射線被曝が原因で問題が生じているか否か決定するとなれば、自己責任として放置されることになる。
打撃群は南太平洋の任務から外され、日本語「友だち」を援用したオパレーション・トモダチのためにフクシマに投入された。それは、北部海岸地帯を破壊し、20,000を超える人びとの命を奪い、数十万人が住む家を失うことになった地震と巨大津波を受けた、80日間の人道援助・救助派遣任務だった。
津波の襲来
救助作戦は、日本政府からの要請を受けて、アメリカ国務省、原子力規制委員会(NRC)、国防総省、エネルギー省によって調整された。打撃群は、5,500人乗り組みの米艦ロナルド・レーガンに加えて、駆逐艦がプレブル、マッキャンベル、カーティス、ウィルバー、マッケインの5艦、米巡洋艦チャンセラ-ズヴィル、それに数隻の支援船で編成されていた(リンク)。
どちらに放射能の雲が吹き流されようとしているか何度も推測してみては、わが身の行き先を定めようとしていたのは、オパレーション・トモダチ従事者たち――陸上のトラック運転手、ヘリコプター乗員ら、それに空母艦載機と上陸用舟艇――だった。国防総省の記録によれば、失敗は一度で済まず、汚染海域を航行中の船舶を除染したり、ヘリコプターを洗浄しては、まさしく放射能の雲へと送り返したりする結果に終わるだけだった。
その後、これまでに150人を超える救助任務の男女兵士が、腫瘍、震え、内出血、脱毛など、さまざまな健康問題をかこち、本人たちは放射線被曝が原因だったと感じている。彼らは苦境の責任を国防総省に問わず、東京電力が同社福島原発の破損原子炉からの放射能拡散の範囲に関して米国当局者に虚偽情報を提供したとする拡大訴訟に加わった。そして、国防総省による登録放棄決定は、彼らを自己責任として放置したのである。(リンク
米艦ロナルド・レーガン
空母レーガンの航海士を務める海軍操舵手の二人、モーリス・エニス(Maurice Enis)とジェイム・プライム(Jaime Plym)は、海上勤務は縦割りであると説明する。艦上のほとんどの者は、風に放射性プルームが吹き流されていることを知らないし、どの海流が汚染されているかもと知っている人はいない。警報が鳴り止んだら、問題があったと知るのだ。
「われわれは艦載の脱塩装置を使って、自前の水を得ています」と、フロリダ州セントオーガスティン出身、28歳のプライムはいう。「だが、元は海からのものであり、海は汚染されています。そこで、艦上のあらゆる水を除去し、きれいになるまで、浄化と試験を続けなくてはなりませんでした」
「艦内に原子力発電装置があるのですが、連中は彼らの原子炉の放射能で自艦の原子炉を汚染したくありませんでした」
だが、放射能を避けるのはたやすくなかった。じゅうぶん離れた汚染海流のない外洋まで出ていって、艦体とパイプ類を洗浄し、岸近くまで戻ることを意味したからだ。
「航海図の特定の区域に放射能があるのを、われわれはじっさいに見ることができましたが、そこを航行するのには、気疲れしました」とエリスはいった。「船員のような民間人は、汚染がどこにあるか、あるいは汚染とはなにか、まったく知らず、口コミやうわさに頼っていました。われわれにはもっと情報がありましたが、その時でも(日本の)電力会社に心配すべきでないといわれていましたので、そこにどれほど多くの放射能があるのか知る完璧な方法はありませんでした」
「われわれは約80日間滞在し、海岸間近な2マイル沖合に漂泊しては、離れました。風向きしだいのいたちごっこでした。事は救助を求める日本の人々を助ける問題でしたので、われわれは戻りつづけました。だが、そのため、われわれは別の危険域に置かれることになったのです。最初の恐怖が訪れ、彼ら(電力会社)が放射能はないと告げていたときにあると分かってから、われわれは全艦封鎖をつづけ、ガスマスクを持ち歩かなければなりませんでした」
タイムリーに放射線情報を入手することとなれば、陸上のアメリカ人も海上のアメリカ人とまったく同じだった。当時のアメリカ原子力規制委員会(NRC)委員長、グレゴリー・ヤツコ(Gregory Jaczko)は、破損原子炉から50マイル以内のアメリカ人全員の避難を要求した。それに国防総省は、福島から300マイル南方に位置する横須賀海軍基地で、測定器が背景放射線値の上昇を感知したあと、女性と子どもたちを避難させた。
デヴィッド・ロックボーム
情報入手は、硬直した日本の官僚主義に邪魔されて困難だった。憂慮する科学者同盟の二人の核専門家、NRCや業界のコンサルタントとして仕事をしてきたデヴィッド・ロックボーム(David Lochbaum)、核物理学者、エド・ライマン(Ed Lyman)は、データベースが時間ごとに一変し、具体的な情報の入手が困難だった混乱期に何千通も行き交った政府Eメールや電信を分析してきた。
福島第一の4号炉爆発のあと、日本人は使用済み燃料プールを低温に保つのにじゅうぶんな水を建屋内に注入することができませんでした」とロックボームはいった。「そこで、米国はコンクリート・ポンプ車をはるばるオーストラリアから日本北方の米海軍基地まで空輸しました。すると、日本の道路を走行する認可がないので、日本人はそれを基地から出発させませんでした。問題の重大さを考慮すると、優先順位が間違っています。
福島第一原発の爆発
「しかし、日本文化は交響楽に似ていて、だれもが指揮者のタクトに従います。それに反して、アメリカ社会はジャズのアンサンブルに似ていて、だれもが一緒に演奏するのですが、アドリブが尊重されます」
日本人から信頼しうる情報をまとめて入手できないことが、アメリカの救援活動の妨げになった。
福島から約60マイル、厚木を基地とするヘリコプター中隊のマイケル・セボーン(Michael Sebourn)上等主任整備士は、次のように回想する――「仙台および福島地域に対する救援活動のために、1日限りの予告で部隊をまとめ、日本の三沢空軍基地へ行きました。ほかの中隊すべて、グアムへ避難していました。厚木基地が閉鎖され、われわれが二度と帰還しない可能性が大きくありました。われわれが車を取り戻すことはおそらくないので、ダッシュボードに自分の名前と電話番号のメモを置いておくようにと告げられました。
「三沢に3週間半いて、人びとを拾いあげたり、救助したり、物資を運んだり、そのようなことで飛行任務に次ぐ任務、また任務で毎日働きました。何人か核検査員がいて、任務から帰還する人員をスキャンしていました。何度も自分の制服を切り裂いていました」。除染チームは、自分の制服に触れ、さらに自分を汚染するのを避けるためにそれを切り裂いていたのである。
セボーンはグアムに送られ、3日間の集中訓練を受けて、指名放射線士官になった。簡単ではなかった。
「これはまったく先例のないできごとでした」と彼はいった。「われわれはすべてのことにまるっきしの新米で、だれもがチンプンカンプンでした。われわれは生物・化学戦を扱う演習をしていました。だが、放射線を扱う演習はまったく何もしたことがありません。あれは核物質であり、われわれは核物質を処理したことがありません。飛行野郎たちは以前に放射線を扱ったことはありません。放射線を受けた航空機を持ったことはありません。ですから、われわれは完全な盲目飛行をしていました」
セボーンの整備士グループにはルールがあった。帰還してくるヘリコプターの放射線をスキャンし、次いで汚染された部品をすべて取り外して、水を満たした特別容器に収納し、隔離された駐機場に貯蔵した。三沢に雪が降りはじめ、グループは福島により近い厚木の基地に帰還した。セボーンは電子検出器を用いて、さまざまなレベルの放射線をCCPM(修正毎分カウント)という単位で捕捉した。
「通常の屋外放射線被曝量は、5ないし10 CCPMの間です」と彼はいった。「そして、それは太陽からのものです。厚木では、背景値は200ないし300 CCPMの間でした。どこでもすべてそうでした。水は放射線を出していました。地面は放射線を出していました。空気は放射線を出していました」
「ルールとは、なんでも500以上カウントするとき、特別手袋が必要になるものです。1000 CCPM以上なら、タイベック放射線防護服が必要です。そして、5000以上なら、完全装備――防護服、呼吸器、ゴーグル、二枚重ねの手袋――が必要になります。汚染された放射体をヘリコプター機内に戻すことはできません――交換するのです。放射体を引き抜くと、60,000 CCPMと読み取れたのを憶えています」
だが結局、安全装備はじゅうぶんでなかったかもしれない。
2年限定で展開し、2012年末に終了したトモダチ医療登録は、国防総省、エネルギー省、退役軍人問題省の共同事業であり、上院退役軍人問題委員会議長、バーモント選出のバーニー・サンダース(Bernie Sanders)上院議員の主張を受けて発足した。(リンク
それは、何か月間も福島第1原発の1号炉から4号炉までの全基から空中と海へ漏出した放射能――特にヨウ素とセシウム――からの被曝による永続的な影響があるか否かを決めるための医療基準を開発するのに不可欠である包括的な登録だった。
登録は、その底の深さで抜群のものだった。70,000米国人が被爆したかもしれない放射線量に関する、国防総省の252頁におよぶ評価報告は、フクシマへの接近度、就役作業類型、その呼吸率に対する影響、天候パターンの変化、性別、体型サイズ、年齢など、一群の要因であふれかえっていた。最後にあげた範疇では、子どもたちは、放射線に対して多様に異なる感受性を反映するために6つの年齢別グループに分けられた。(link
さらに加えて、報告は「8,000人の個人が体内放射性物質を検査され、その試験結果が線量計算値と比較された」と述べる。
しかしながら結局、国防総省は、全身および甲状腺の汚染物質線量のありうる最大値推計は、さらなる検査を正当化するほど深刻なものではないと結論した。
海軍広報担当官、マシュー・アレン(Matthew Allen)一等海尉は、声明書でこう述べた――「線量推計は、きわめて慎重な被曝想定(すなわち、各個人が60日間にわたり屋外に一日24時間いて、その放射線レベルを高く見積もり、しかも呼吸率を通常のそれより高いとする想定)を用いて得られたものであり、国防総省はその正確さに絶大な信頼を寄せている。
「線量推計は、線量再現に関する退役軍人諮問委員会および全米放射能防護測定委員会によって精査され、その両者とも、推定計算に用いられた方法は適正であり、結果は正確であったということで一致した。さらに、この線量推計は、日本政府による推計および世界保健機関(WHO)による推計と一致する」
国防総省広報担当官、シンシア・スミス(Cynthia Smith)は、担当局が深刻な汚染はなかったと結論した結果として、こう述べた――「2011311日の当日またはその近時に始まった福島第一原子力発電所の事故、そしてそれに続く放射性物質の放出のあと、日本国本州の陸上および近辺に滞在した国防総省関係集団のうち、健康監視措置が要請される人員はだれもいませんでした」
だが、現地で生活し、働いている男や女、それに子どもたちに対する監視の継続を正当化するほどの放射能の環境放出はなかったとする国防総省による一律的な結論を疑う人たちがいる。
「放射性物質は均質な混合物として拡散するのではありません」と、ロックボームはいった。「ホット・スポットがあれば、ロウ・スポットもあって、だれそれが高線量帯にいるとか、低線量帯にいるとか、だれにもわかりません。個人が被曝したじっさいの線量は、だれにわかりますか? 水や食品に含まれて摂取したものの測定はないのです。
「いくつか既存の測定点のデータを採用して、集団全体におよぶものとして推定する、これが海軍の一番良い企みなのです。彼らは大量の測定結果を収集しますが、一時点だけの分にすぎません。夜景写真の撮影で、ストロボを発光させるのに似ています。ストロボ発光の度ごとにエリア内のスポット写真を写せるでしょう。でも、暗闇全体を写しこめるものでしょうか?」
フクシマ救援ミッションの永続する遺産
Part 2
海軍生活――奈落の底へ
ロジャー 6t6
Posted by: roger6t6 on February 11, 2013
アメリカ政府にとって、オパレーション・トモダチは、一番手近の海軍艦隊と多数の陸上要員が困っている同盟国を支援するために駆けつける、ごくありきたりな大規模人道援助・救援活動にすぎなかった。この場合、日本の北東部沿岸が巨大地震と津波で壊滅し、インフラが破壊され、約20,000人の住民が死亡し、315,000人の避難民を残し、その多くは汚染地域のわが家にもはや帰還することは望めない。
オパレーション・トモダチ――日本語「友だち」にちなんだ名の活動――は、大規模兵站行動演習として開始された。陸上勤務と米空母ロナルド・レーガン打撃群乗務、双方の米海軍水兵には、そのように思えた。ワシントンからの眼差しでは、オパレーション・トモダチは同盟国間の長期にわたる絆を強化するものだった。
その後、すべて様変わりした。
グレゴリー・ヤツコ
福島第1原発の123号基の核燃料が加熱し、メルトダウンして、その過程で水素の雲が発生して爆発し、日本中いたるところの検知モニターの放射線値を急上昇させた。3号基で発生した水素は、共有の換気システムを通って、4号基に移動し、その屋根を同じように吹き飛ばし、使用済み核燃料プールと、セシウム、ヨウ素、プルトニウムの致死性混合物をふくむ1,500束の燃料棒を露出させた。
原子力規制委員会(NRC)、グレゴリー・ヤツコ委員長が主宰する会合や電話会議の記録は、新しいデータが以前のデータと食い違い、海軍による放射線測定値が日本政府や破損原発を所有する巨大公益企業である東京電力の情報と著しく相違しているので、懸念が着実に募っていっていたことを示している。(NRCs Operation Center Fukushima Transcript. Note large censored passages, including the identity of the speaker
NRC自体が盲目飛行をしていた。当局は、複数のメルトダウンが同時に発生するなんてありえないと信じていた。その結果、NRCの緊急対応規範は、問題が解消するまで健全な施設の稼働中のシステムを用いて破損施設の危機的状況のシステムの制御にあたるというものを、そっくり引き継いでしまった。ヤツコは公的に平静な対応を要請し、在日中のアメリカ人には、日本政府による指針に従うように求めた。米国内向けのNRC報道発表は、放射性降下物による危険はないと、ことさらに表明していた。
だが、記録は別のストーリーを伝えている。
314日、ヤツコの電話会議は、原子炉規制事務所(NRR)のジャック・グローブ(Jack Grobe)工学部次長がもたらした悪い知らせで中断された――
ジャック・グローブ:OK、みなさん、お邪魔して申しわけありませんが、事態は急速に悪化していまして。これはわたしに演習を思い起こさせます。(…)
ほんとうに困ったことは、わたしたち、風向きが変わりまして――ところで、委員長がおられるのですね――風向きが変わりまして、風は北東から西南方向に吹いています。内陸方向であり、東京に向かっています。東京のすぐ南の港湾に航空母艦が停泊しています。現場から約180マイルの位置であり、東京から南西に約10マイルであり、乗員たちは、12時間あたり合計有効線量で、およそ10ないし20ミリレムを測定しており、ざっと5ないし10倍、甲状腺(…)
ジャック・グローブ:か、解答としては、線量率が、放出されるもの、あるいは現場から南西方向180マイル地点に達するのに要する時間とどちらかと一致していないようです。
マイク・ウィバーMike Weberそうか、さて、それこそ、君がわれわれに何が起こっているか語ったとき、わたしをびっくりさせたことだ。
ジャック・グローブ:はい。でも、トラップが伝える最高司令官からの返信によれば、乗員らは複数の機器を使用しており、これを複数の手段で確認したとのことです。(回線中断)
マイク・ウィバー:わお~。
ジャック・グローブ:彼らは、原子力推進の航空母艦を運用しておりまして、申し分なく適正なレベルの能力を有しているはずです。(…)」
これは新たな領域であり、日本人からのデータを信頼できなくなった。
これはオパレーション・トモダチに従事するアメリカ人らにとって、危機のさなか、行き当たりばったりで過ごさなければならなくなることを意味していた。彼らは、機能しているインフラがほとんどない荒廃した景観のなかで、破損原子炉からの目に見えず予見もできない汚染に警戒しながら、捜索・救助任務を遂行することという二重の必要に直面した。
国防総省、国務省のお役人たちと原子力規制委員会にとって、オパレーション・トモダチは、軍隊が民間人対象の人道派遣任務で働く、期限付きで上首尾なイベントだった。要請され、記録され、終了した。
だが、軍隊の活動は、地球半周のかなたからの命令を遂行しながら、任務成功を図ることの結果を身に受けながら生きなければならない人びとによって、リアルタイムで実行される。
そして、活動に投入されるアメリカ人のなかには、オパレーション・トモダチが、米国海軍就役の経歴と夢の終わりと不安が織り合わされた新たな生活の始まりを意味する人たちもいた。
ジャンキーの子
マイケル・セボーンは、人が見向きもしない界隈の生まれ、末は監獄行きになるか、あるいは死のうが生きようが、だれも気にかけそうもない、どこにでもいるような望まれぬ子どもだった。その彼が、海軍に出会った。
「わたしの母はドラッグ依存で、わたしが月齢18か月のとき、父は薬物の売人から強奪しようとして殺されました」とセボーンはいう。「わが家はサウスカロライナ州チャールストンの(貧困対策)公営住宅に住んでいました。継父には虐待癖があり、母の稼ぎをすべてドラッグやアルコールに使っていました。わたしは栄養不良で痩せすぎていました」
5歳のとき、セボーンは祖父母のもとへ送られ、その祖父母は2年後に亡くなった。彼はインディアナ州ゲーリーの叔母の家に転がり込んだが、寂れる街の貧しい黒人主体の地区の貧しい白人少年といったところだった。
マイケル・セボーン
「自分には何もできないなどと考えたことはありません」とセボーンはいった。「貧しかったので、大学は問題外だとわかってはいました。高校を卒業すると、つかのま工場で働いていましたが、ものにならず、3か月間、ホームレスになって、トラックに寝起きし、眠るためにウォルマートの駐車場に乗りつけました」
セボーンは叔母のもとに舞い戻った。グレていて、過ちをしでかし、「法律沙汰に二度なりました。わたしには新しいなにかが必要でした。自分のためになることはまったく何もしてこなかったので、心機一転したいと願いました。ぼくは軍隊に入るべきだろうか、と叔母にいうと、叔母はキチンに駆けこみ、車のキーを持ってきて、『行くわよ』といいました。2日後、わたしは出発しました」
海軍のグレイト・レイクス訓練駐屯地で好成績を収め、職務選択を提示されると、管理部門であると判明した。「なにが弾けたのです」と、セボーンは1993年の海軍入営について語る。「プライドを取り戻しました。価値観をつかんで、成功への道を出発したのです。海軍のお役に立つことがわたしに必要な何かだったのです。
「わが家を持ったと感じたのは、初めての体験でした。家族を持ったと感じるのは、初めての体験でした」
やがて海軍だけがセボーンの唯一の家族ではないことになる。
17年前、セボーンは日本に到着し、日本が好きになり、三沢海軍航空基地に駐屯して、同地を本拠とするヘリコプター中隊の整備士長にまで昇りつめた。日本人女性と結婚し、やがて息子を授かった。彼は、サウスカロライナのドラッグの吹き溜まりからは世界半周、丸一生分も隔たった遠くまで来てきた。彼は一角の海軍軍人だった。

アスリートとミュージシャン
モーリス・エニスは、ミネソタ州ロチェスターの降霜地帯の出身、背が高く、頑健な子どもで、その世界はスポーツと体育を中心に廻っていた。「わたしは、ロチェスター、センチュリー高校のトラック競技で走っていました」と、彼は過去を語る。「400メートル走と200メートル走をやっていて、続けたいと思っていました。
モーリス・エニス
「わたしのコーチは元海兵隊員で、軍隊の戦いで世界中を旅していました。偉大な生きかただと思える話で、自分も海軍で戦いたいと願いました。19歳のとき、わたしたちは徴募事務所に出かけて、採用機会について話しあい、わたしは入隊しました。2007年のことです。でも、母が戦争や9.11事件でわたしが怪我するのではと恐れたので、家ではお涙たっぷりでした。しかし、わたしはこれがぼくの人生でしたいことなのだといいました。
「これでよかったのです。これがある意味でわたしを救いました。わたしには目的がありませんでしたが、わたしの時間について、なにができて、達成できるかについて、これがわたしにもっとたっぷり教えてくれました。配属されると、余計なことをしている時間がありません。一日は分刻みで計算されているのです。外出して、遊ぶ時間が24時間あると、自分の時間管理ができますし、優先順位付けを学んでいますので、今はもっとたくさんのことをやり遂げることができます。
「わたしはほんとうに海軍で成長しました。もはや海軍ではトラックやフィールドはありませんでしたので、わたしは航法と操舵術全般を選びました。昔の学校みたいなやりかたで、さまざまな天体を用いる航法があり、数学とコンピュータを総動員する新しいやりかたがあります。ありったけの違った航法をすべて学ぶのです。それを紙の海図に落としこみ、衛星を使うと、自艦が海域のどこにいるか、じっさい、正確に割り出せるのです」
エニスは恋にも落ちた。
ジェイム・プライムは、彼女自身も楽しんだように、カリブ海では水泳なしにすまされないが、雪とは縁遠い土地からやってきた。彼女は、米国最古の街のひとつ、フロリダ州セントオーガスティンで育ち、ジャクソンヴィル大学に入学し、2年間、音楽を専攻して、バス・クラリネットを演奏していた。
「わたしの人生に音楽がほしいと決めました」とプライムはいった。「でも、仕事にはしたくなかった。わたしは学校をやめ。ゲーンズヴィルで就学前クラス教師の仕事をただしていました。復学したいと思いましたが、音楽科奨学金でやっていましたので、ほかのどんな専攻科にしても、お金がありませんでした」
彼女は目的が見あたらないと感じ、2007年が暮れるまでビーチであてどなく過ごしていた。彼女には海兵隊に所属する兄がいて、自分も軍に入隊できると彼女はこころを決めた。「でも、わたしは海上に出たいと思いました」とプライムはいった。「でかい船の上にいたかったのです」
プライムとエニスはグレイト・レイクス訓練センターで同じクラスになり、結局、一緒になった。「わたしは、自分がなにをやりたいのか、見つけようとしていました」とプライムはいった。「操舵手について説明を受けましたが、それは指令センターで勤務し、航海の責任をになうものでした。わたしは受託の署名をしました」
ジェイム・プライム
航海は、とりわけ航空母艦の場合、きわどい仕事だった。他の艦船なら、風や海流しだいで動き、航海士らが最善・最速の針路を見つけ、最適の好位置に移動できる。動きの遅い放射能の雲のように、危険が接近してくる場合、これは特に重要だった。
航空母艦の航海士らは、そんな贅沢とは無縁である。空母の4分の1マイル甲板は、海しだいでゆっくり左右に横揺れし、上下に縦揺れする。彼らは最も揺れの少ない海域を見つけ、任務遂行中、なにがあっても、位置を保持しなければならない。航空機が離艦すれば、帰還ルートがわかるように、その場に留まらなければならない。
そのことが、危険な風や放射性の海流を避けることを難問にした。
だが、訓練キャンプを卒業したとき、プライムとエニスはそんなことになるとは露知らず、南太平洋通いの空母打撃群の旗艦、米艦ロナルド・レーガンの操舵手兼航海士暮らしをはじめた。
「ずいぶん楽しかったわ」とプライムはいった。「わたしたち、初めは友だちづきあいでしたが、そのうちデートしはじめました」
2011311日、津波が日本の北東部沿岸を襲ったとき、米艦ロナルド・レーガンと第7空母打撃群は韓国の港に針路をとっていた。
「わたしたちは、針路を変えさせられて、日本に向かい、援助活動に入ることになると即座に悟りました」とプライムはいった。「翌朝の午前5時に現場に到着しました」.
「わたしたちは原子炉について知ってはいませんでした」とエニスがいった。「陸上でなにが起こっているのかを知るための、インターネットや電話回線のような外部との接触手段をもっていませんでした。重大な危機が進行しているとわかっていただけでした。艦長が放射線の恐れがありうると告知されるまで、わたしたちには原発のことなど頭にありませんでした。放射能漏れがありうると気づいたのは、その時です」
新たな事態:放射能
オパレーション・トモダチは、日本大使館がカート・キャンベル(Kurt Campbell)東アジア・太平洋担当国務次官補に援助支援を要請したことを受けて始まったものであり、キャンベルは当時のアメリカ原子力規制委員会(NRC)委員長、グレゴリー・ヤツコ、および統合参謀本部議長、マイク・ミューレン(Mike Mullen)海軍大将に速やかにその要請を伝達していて、ミューレンは困難が拡大する陸上の状況についてバラク・オバマ大統領に定期的に概略を説明することになった。
当初、作戦は救難派遣として始まったはずだが、原子炉6基で構成される福島第1の複合施設からの放射能拡散によって事態はしだいに複雑になっていった。放射能を帯びた1,535束の燃料を格納した4号炉の使用済み核燃料プールをふくめ、他にも少なくとも3基の原子炉に破損の危険があった。
312日、米艦ロナルド・レーガンと第7空母打撃群が海岸から2マイルの沖合に到着したとき、福島1号炉が爆発した。314日には3号炉が爆発し、水素ガスが共有換気システムを通って4号炉の格納建屋を破壊し、使用済燃料プールを外気に晒すことになる。2号炉は315日に爆発する。東京電力は、123号機の燃料の大半は損傷していないと発表した。燃料は無傷ではなかった。溶解して、ドロドロの塊になり、破壊された原子炉の底から滴り落ちていたのである。
日本政府は事態が制御不能になりつつあることを認めたがらず、水を空輸して、4号炉のプールの使用済み燃料に絶え間なく投下し、核燃料火災で爆発するのを防ぐために、同国軍隊、自衛隊を動かさなかった。大手日本紙、朝日新聞は東京と駐ワシントン日本大使館の間で行き来した連絡のやり取りを入手したといい、同紙によれば、ミューレンが藤崎一郎・駐米大使宛てに電報を打って、自衛隊を原子炉冷却のために動員すべきだと進言していた。
「米軍は4号炉が危険に瀕していると信じております。原子炉冷却のために、自衛隊出動を含め、あらゆる手段を採るべきであると感じております」と、その電報は伝える。「米国は核事故に対処するために様ざまな準備を完了しました。大統領も深く憂慮し…」(リンク
原子力規制委員会では、ジャック・グローブが、ヤツコおよび在日チームを相手に電話会議をほぼ常時つづけている24時間業務センターの危機管理チームの指揮をとっていた。彼らの事前に想定していたシナリオ――単一の核複合施設で複数のメルトダウンが起こることはありえず、放射能が原子炉から環境中に拡散することを格納構造が食い止めるという長年の信念など――が、根本的に間違っているとわかり、放射能拡散から人びとの安全を守るための彼らの行動計画に疑問符がつくことになった。
NRCの編集済み会話筆記録によれば、4号炉爆発のあと、グローブが激怒してこういったという――「格納が無傷の想定の漏出予測は、もう完全に無意味だ。
「というか、なにもかも悪いほうに進行して、君の想像にも、わかるだろ、こういうことが、あらゆることがなにもかも悪化していくことがありうるなんて、想像もつかない、そういう緊急防災訓練のような気がしはじめたのだ」
しかし、NRCは日刊の報道発表を数回発行し、そのすべてが、一般公衆に危険はおよばないと国民に保証していた。
そして、公海上とアメリカ海軍施設では、オパレーション・トモダチの海軍兵たちがそれぞれの任務についていた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


本稿は、ロジャー・ウィザスプーン(Roger Witherspoon)による2回シリーズの第1回目。
ロジャー・ウィザスプーンは『Energy Matters』サイトの執筆者。
Wm・ロジャー・ウィザスプーンは、ジャーナリスト、作家、教育者、パブリック・リレーションズ専門家として、あらゆる形のメディアで仕事して、40年間以上もすごしてきた。彼は、州政と国政、国際関係、財政、防衛、公民権、憲法、健康、環境、エネルギーに関して縦横に執筆してきた。

彼の職歴の大半は、常勤記者、編集員、コラムニスト、あるいはプロデューサーとして、新聞(ニュージャージー州のザ・レコード、同州のスター・レジャー、ニューヨーク・デイリー・ニュース、アトランタ・コンスティチューション、ダラス・タイムス・ヘラルド、ニューヨークのジャーナル・ニュース)、テレビ(CNNKNBCNBCネットワーク)、ラジオ(MCBMMI)など、さまざまなメディア企業で働く、報道業界のものだった。
彼は、フリーランスのライターとして、タイム、ニューズウィーク、フォーチュン、エッセンス、ブラック・エンタープライズ、エコノミスト、USブラック・エンジニア&ITなど、数社の出版物に書いてきた。
著作に“Martin Luther King, Jr.”、“To the Mountaintop”、共著に“Feats and Wisdom of the Ancients”がある。
ウィニフレッド・バード(Winifred Bird)は日本からの報告の形で貢献した。彼女は長野に在住するフリーランス・ジャーナリストである。彼女の記事は、ジャパン・タイムズ、サイエンス、エール環境360、ドエルほかに掲載されてきた。
転載・引用のさいに推奨される標記:
#原子力発電_原爆の子 
アジア太平洋ジャーナル Vol. 11, Issue 11, No. 4 2013318
Vol. 11, Issue 11, No. 4. March 18,
福島救援活動の永続する遺産
――アメリカ人の被曝
Fukushima Rescue Mission Lasting Legacy: Radioactive Contamination of Nearly 70,000 Americans, The Asia-Pacific Journal, Vol 11, issue 11, No. 4, March 18, 2013
http://www.japanfocus.org/-Roger-Witherspoon/3918
Recommended citation: Roger Witherspoon, Fukushima Rescue Mission Lasting Legacy: Radioactive Contamination of Nearly 70,000 Americans, The Asia-Pacific Journal, Vol 11, issue 11, No. 4, March 18, 2013.
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