2013年4月23日火曜日

【海外メディア】オパレーション・トモダチ Part 2: 核の幽霊とイタチごっこ


アジア太平洋ジャーナル:ジャパン・フォーカス
アジア太平洋…そして世界を形成する諸勢力の批判的深層分析



Vol.11  Issue 12 No.1, 2013年3月25日
福島救援活動の永続する遺産核の幽霊とイタチごっこ
Roger Witherspoon
本稿は、2回連載シリーズ『フクシマ救援活動の永続する遺産』Part 1オパレーション・トモダチ:米海軍兵の被曝」につづくPart 2
  ☆ 以下、本文 ☆ ☆

数日間にわたって、福島第1原発の破壊された原子炉から吹く風が、放射性プルームにまつわる神話にまともにぶつかった。
その神話とは、原発業界とその監視機関、原子力規制委員会(NRC)が揃って強力に助長してきた、まったく頑固なウソだった。この神話は、相矛盾する二つの前提に立つ――
l  壊れた原子炉または使用済み燃料プールから噴出する放射性ガスは密集して細い流れになる固有の特性を有し、広く拡散することはない。
l  20キロも行かないうちに、プルームはティーポットの蒸気のように散らばって、測定するには低すぎたり、「規制関与基準」に達しなくなったりして、とるに足りない痕跡しか残さない。
2011.03.11時点のプルーム動向予想
①細い束になることと、②広がって散らばることとは相矛盾するが、これが問題にされることはなかった。これは、200248日のニューヨーク州ホワイト・プレインズの公聴会で、マンハッタン北方54キロに位置するエンタジー社インディアンポイント原発の原子炉2基にまつわる避難計画に関して、最もはっきりと言明された。「放射性プルームを避ける一番たやすい方法は、道を渡ることです」とエンタジー社のラリー・ゴットリーブ(Larry Gottlieb)がいけしゃあしゃあといってのけても、NRC当局者らから文句が出なかった。
「銃を向けられたら、しなけなければならないことは弾道から右か左に一歩よけるだけ。それだけのことです」
2011311日、地震と津波が日本の北東部沿岸のインフラを破壊し、約20,000の人びとを死亡させ、数十万人から住宅を奪い、福島第1原発の原子炉6基のうち4基を取り返しのつかないメルトダウンへの道筋を定めてしまってからの狂乱的な最初の週、原子力規制委員会だけでなく、国防総省、エネルギー庁の当局者たちは、「プルーム」が神話どおりに正しくふるまい、海上方向に吹き流されるかぎり、状況は処理可能であるという考えにしがみついていた。
この思い込みは、日本列島のいたるところ63か所に軍事基地を配し、約60,000人の男女要員とその家族を擁する国防総省としては至上命題だった。したがって、313日、沿岸から230キロ沖合にいる米艦ロナルド・レーガンから、その発着甲板で検知器が放射性物質を捕捉したとの報告があったのは安心材料だった。
NRC現況報告によれば、「測定可能な放射能は福島第1原発1号炉の換気と一致する。また海軍は『プルーム』から背景線量を上回る放射能を含むサンプルを採集した」。その報告は、レーガンが「原子炉から放出されたものと一致するヨウ素、セシウム、テクネチウム」によって汚染されていることが分析により示されるだろうと記す。
2011.03.13時点のプルーム動向予想
原発を操業する東京電力は、原子炉が制御下にあり、放射能は全面的なメルトダウンではなく計画換気が原因であるとする立場を維持していたので、これは好都合だった。放射能がプルームとして海上方向に吹き流されているかぎり、すべての米軍基地や何百万人もの東京首都圏の住民を避難させる必要はない。
現実には、津波が襲来し、すべての非常用電源を破壊する前に、地震の結果、福島1号基はメルトダウンしはじめていたのだ。原子炉の溶融炉心は、圧力容器や格納容器を溶かして貫通し、原子炉の下の水に突入して、損傷した建屋の外部に放射性蒸気を噴出させるだろう。モニタリング・ステーションのデータは20131月まで解析されなかったが、少なくともベントの1時間前に背景レベルの700倍以上にまで放射線値が上昇していたことを示している。当局者らは空母レーガンが制御されたプルームを検知したとみなしたが、事実としては、そのようなベントはまだ実施されていなかった。意外なことに、艦船群は予期されていなかった放射能の雲のなかにいたのだ。
東電がいわなかったこと――そして、あのあわただしかった時期、米政府当局者らが見逃したこと――は、ベントが発動しなかったという事実である。
核安全技術者、アーニー・ガンダーセン(Arnie Gundersen)は次のように語る――「チェルノブイリがフクシマと違う点は、チェルノブイリの火災が放射能を大気中高く放射能を噴き上げ、それが広範に撒き散らされたことです。フクシマでは火災はありませんでした。あれほど立派な排気塔がありながら、産業用扇風機を動かす電力がなかったので、ベント操作は不可能でした。
「ですから、放射性蒸気は地表のスモッグのようにただ流出して、田園地帯を漂ったのです。その約80パーセントは海上に吹き流されました」
かくて、不連続性のプルームは神話だった。空母レーガンとその随伴艦船は架空のプルームを避けようと絶え間なく努めていたが、そのとき現実には、頭上に絶えず放射能の雲が拡散し、周囲いたるところで放射能を含んだ海流が汚染海域を増大していたのだ。
福島原発14号炉を格納する建屋が爆発で破壊されたあと、316日には、カート・キャンベル(Kurt Campbell)東アジア太平洋担当国務次官補とNRCや国防総省の当局者らは、みずからの責任で行動するというより、東電に情報を頼る日本政府のせいで、ますます動揺していたのである。
2011.3.113.24、フクシマからの放射能の拡散
朝日新聞は「当日、この件に関する内部文書が国務省高官らのあいだで密かに回覧され、それには『理解を超越した混乱(Fu**ed Up Beyond All Recognition)』を意味する一語『FUBAR(めちゃくちゃ)』が含まれていた」と報じた。(リンク
NRCはまた、土地の汚染防止にも注目していた。フクシマから300キロ南の横須賀海軍基地で放射能が検出されたとき、NRCのモデルはすべて放射性「プルーム」が海上に出ていくように示すことを前提に設計されていたので、NRCは当惑した。陸上にいる数百万の日本人と数千のアメリカ人を心配するあまり見過ごされていたのは、海上に出ていく放射能の影響であり、海上では米艦レーガンの打撃群がオパレーション・トモダチのもとで捜索・救助支援を実施していたのである。
災害のさなか、そのような見過ごしは信じられなかった。「わたしはかつて同じ駐留地にいたことがあります」と、憂慮する科学者同盟の核安全技術者、デヴィッド・ロックボーム(David Lochbaum)はいう。「陸上に人がいるし、ぼんやりとですが、海上にもいると知っていました。どちらの方向に風が吹くかという段になると、沖合に向かって吹いていたので、わたしは安堵の溜息をつきました。
 「海に海軍がいることを示すライトが、いつの間にか見えなくなっていたのでしょう。表示灯は消えてなかったのですが」
そして、オパレーション・トモダチの水兵たちは自分たちの航路をたどっていた。

核の神経衰弱ゲームがはじまる
軍隊では、情報が最上層部に集積され、関係者のみに知らせる原則で解析される。福島沖で危機が明らかになると、海軍要員のおおかたはごくわずかしか知る必要がないと決定された。情報の階層別差別化は米海軍空母ロナルド・レーガンの艦上で顕著であり、随伴する第7打撃群は日本の災害に見舞われた沿岸における捜索・救助活動の実施に投入された。航海士らは業務に必要な情報をじゅうぶん与えられなければならなかった。
ジェイム・プライム
「わたしたちは陸上で放射能が漏れていると知っていました」と、航海士、ジェイム・プライム(Jaime Plym)はいう。「常識でいえば、放射能は岸近くにあるはずです。艦載ヘリコプターが行ったり来たりしていましたので、ほとんどの時間、わが艦は岸から約4キロのところにいました」
モーリス・エニス(Maurice Enis)が、「わたしたちは航海士としての立場上、なにが起こっているか、知らされていました。でも、彼らは、パニックを引き起こし、乗員たちを怖がらせたくなかったのです。だから、放射能漏れの情報をあまり出しませんでした」と付け加えた。
「だが、わたしたちは放射能を海図上に記入し、危険海域はどこか、プルームの雲がどこまで到達するか、推測しなければなりませんでした。確かなことはわかりませんが、ブリッジの操舵室には警報音を発する検出器がありましたし、派遣される生身のヘリ乗員らは大気中の検査をしていました」
空母打撃群の将官や艦長たちは、放射性「プルーム」を避ける努力の一環として、福島第1原発の正確な位置を特定することを航海士らに命じた。その上で、原発の位置から沖合に向かって90キロの直線を引き、その先端から直角に南北方向それぞれ45キロ伸びる直線を引いて、海上の「T」字ラインを設定した。T字横線の両先端と原発を結ぶ直線を引くと三角形になり、海軍はその海域内に放射性プルームが限定されているとみなした。
「単なる憶測です」とプライムはいった。「わたしたちは三角形を避けるものと想定されていましたが、日本人に物資を供給したり、援助品や食品や水を届けたりするために、何度かプルームを突っ切ったことがあります。外洋に出て、三角形の外を回る全航程を行って、また元の側に帰ってくる時間が持てませんでしたし、ありませんでした。
「供給品を届けるために海岸へ寄ると、プルーム領域にたっぷり入りこんだりしました。岸からたった4キロ沖でしたし、上に命じられて引いた三角形の外にいてさえ、三角形を突切たりしました」
だが、三角形だけが唯一の問題ではなかった。しばしば、ヘリコプターやジェットのパイロットらが海域内の放射能を示すデータを持ち帰ったりすると、艦船は目に見えない脅威を避けた。
「沖合にほぼ80日間いました」とエニスがいった。「岸近くに留まっては、沖に離れるといった具合でした。まるでイタチごっこで、風が吹いている方向しだいでした。どの方向か、確信がもてることはまったくありませんでした。それから、最初の脅威が訪れ、日本人がわたしたちに放射能はないと告げていたとき、放射能を見つけました。そこで、全艦を封鎖し、ガス・マスクを持ち歩かなければなりませんでした」
防護服に身を包むエニス航海士
それでも、具体的な情報が不足し、日本人を信頼できなかったので、艦内は流言が飛び交い、恐怖に満ちた。原子力規制委員会の緊急事態対応センターを中心とする電話会議の筆記録によれば、レーガンの艦長は、毎時測定値を取り、それを分析処理のためにアメリカ大使館に送るように命令された。同艦はセシウム、ヨウ素、テクネチウムで汚染されており、これらすべては原子炉の産物である。国防総省は日本政府や東電を信頼したくなかった。エニスやプライムなどの航海士たちは、パイロットらが収集したデータのうち、幾分かの情報を与えられた。
「わたしたちは、現実に放射能が検知された海図上の特定の水域をこの目で見ることができました」とエニスはいう。「その海域を突っ切って航行しようとするのは、神経に障りました。だけど、心配することはないと電力会社からいまだに聞かされていましたので、そこにどれほどの放射能があるのか、知るための完璧な方法はありませんでした。
「艦内の他の部署では、わたしたちの知っていることさえ知らず、口コミやうわさが流れていただけです」
ヘリコプターやジェット機が任務から帰艦すると、放射線防護服の要員たちが待ち構えていて、機体を石鹸と水で洗うのです。それが役に立ったのか、だれにもわかりません」
「わたしはずっと気分を悪くしていました」とプライムはいった。「好き勝手に『もう嫌だ!家に帰る!』といえるものでもありませんし、なにが起ころうがお構いなしでした。そこで、ゾンビになって、OKというのです。洗いますから、大丈夫です、と。でも、現場にいたとき、わたしたちはずっと恐れていました。
「わたしたちのだれも放射能についてなにも知りませんでした。余分な手でも生えてくと考えていました! わたしたちは、デジタル時計(訳注:ラジウム塗料の夜光時計の間違いか?)を作っていた人たちのことを話題にしました。その人たちはみな癌で亡くなったのですが、わたしたちもそうなるのかと思いました。わたしたちはほんとうに知らなかったのです。ビビったり、無視したりのあいだを行ったり来たりしました」
ある意味で、軍隊の規律が恐怖のなかで水兵たちが作業をつづけるのに役に立った。
「命令を受ければ、従います」とエニスがいった。「艦体に散水して洗浄しろといわれれば、われわれはそのようにして、艦体を洗っているのだと考えます。ですが、艦体の放射能の洗浄について、上のだれかが間違った情報をつかんでいれば、われわれはほとんど堂々巡りをすることになりました。
「だから、やっていることよりもずっと良いことを考えるのです――特に艦のそばを家がまるごと流れていれば、中で家族が死んでいるのだろうかと考えます。そして、陸上の小さな子どもたちのことを考え、ヘリが飛んできて、食べ物をあげると、どれほどよろこぶだろうかと考えます。自分自身のことや自分の恐れのことを考えるよりも、そういうことに考えを集中するのです」
整備士と熱いエンジン
レーガンの甲板の下には窓がなく、ジェニファー・ミッケ(Jennifer Micke)と仲間たちがF18ジェット機をベスト・コンディションにしておくために働いていた。レーガンには5,500人の乗組員がいて、その規模は、ミッケが育った、祖父母の農場から道を下った酪農場の所在地である小さな農村、ウィスコンシン州ソープの5倍大きかった。いつの日か、彼女はさらに道を下った場所に自分自身の農場を持つと期待されていた。
ジェニファー・ミッケ
「わたしが高校生のとき、オシュコシュ飛行機博物館へ家族旅行に出かけました」と、22歳のジェット機整備士がいった。「その経験によって、わたしは航空機に夢中になりました。船に乗りたかったし、空軍はおもしろそうでなかったので、わたしは海軍を選びました」。じっさいには、彼女がソープ高等学校最高学年のとき、2009年に契約し、卒業のあと、海軍のグレート・レイクス訓練センターへ向かった。18歳だった。
「新兵キャンプは恐ろしく簡単でした」と、彼女はインタビューに両親の居間から答えていった。「あれは間違いなく一生に一度の体験でした。高校では、わたしはゴルフをしていて、いつも学業成績C評価の生徒でした。正直いって、どうでもいいことばかり、先生たちは教えようとしていたのです。
「海軍学校に入学すると、わたしは学級のトップ・クラスになりました。クラスのリーダーでした。たいしたものでした。海軍では、わたしが情熱を傾け、ほんとうに楽しめることを教えてくれました。わたしたちは金属加工コースに進み、翼のモック区画を担当しました。教官たちは側面に大きな穴をぶち開け、わたしたちは継ぎを当てて、滞空性能を回復しなければなりませんでした。
「わたしはそれをとても楽しみました。牛乳搾りとは違いました。まったく違いました!」
彼女は、機体整備士資格を認定されて卒業し、米艦レーガンに乗り組むためにサンディエゴに飛んだ。「レーガンを初めて見ととき、もっと大きかったはずだと思いました。ドックに引き揚げられているのを見て、『これがそうなの?』といいました。映画はそれを大きなものに見せていました。いったいぜんたいどのようにして、飛行機がこんなものに着艦するのかしら? わたしはすっかりショックを受けました」
正常な条件では、人は長さ450メートルの艦上で拘束を感じない。だが、救助任務はすべてを変えた。ミッケはこういう――「オパレーション・トモダチがはじまると、だれが発着甲板に上がるかについて、非常に制限されました。わたしたちは甲板にボルト留めされた機体の必須点検のために上がっていました。そうでなければ、あらゆるものをハンガーまで運び下ろし、ガイガー・カウンターでチェックしなければなりませんでした」
「ゴム手袋、ゴーグル――なにもかも着用しなければならなかったのを覚えていますし、汚れ除けエプロン着用ということになっていました。マスクとキャニスター(濾過・吸収剤を詰めた缶)を支給されましたが、じっさいに最後まで使うことはなかったです。放射能のせいで、ジェット機は汚れていると考えられていました。ブレーキを取り外して、汚れているものですから、特別区域へ持ち込み、検査しました。決められた洗浄手順にしたがって、テストを完了し、アラーム電源を切ることができるようになる状態になるまで、あらゆるものを何回も何回も洗いました。
「すべてのパネルを取り外し、部品を交換に出し、それを検査のためにだれかに渡さなければなりませんでした。もし放射線量が許容値より高い場合、ほかの人たちに処理してほしいと連絡しなければなりません。そうなれば、作業はもっと難しくなりました」
艦内に放射能が拡散するのを防止するためのマニュアルはなかった――衣服や靴に付着していたり、流入する空気が運びこんだりする粒子が、必然的に艦内区画を汚染し、アラームを鳴らした。水兵たちは間に合わせの工夫をしたとミッケはいう――
「放射能を外に閉め出す方法で、扉の下から侵入しないように、すべてのドアの隙間や割れ目にボロ布を詰めこみ、どこへ行っても、『ボロ布を抜き取るな』と注意書きが掲示されていました。わたしはとてもおもしろいと思いました。
「わたしはいつも恐れていました」
おもしろかったが、効果はなかった。
艦長ブリッジでは、自艦が汚染されていることが明白になっていた。雪が降り、水兵たちは雪合戦をしたが――それも、雪そのものが、上空の放射性粒子を洗い落として汚染されていると判明するまでだった。高圧ホースを使ったが、海から取水するので、甲板洗浄は事態を悪果させるにすぎなかった。
米艦レーガンの上空を飛行するF18
プライムによれば、「原発を管理する東電は、放射能をまったく漏出していないとわたしたちの代表に告げていました。だけど、艦全体が汚染されてしまいました。乗組の全員に化学・放射線・生物戦装備服が配布されました。そして、空気が汚染されている場合に備えて、ガス・マスクを使用しなければなりませんでした。
「丸1日、水がなくなって、シャワーを断念しなければなりませんでした。タンク内の水を大量に排出して、タンク内をゴシゴシ洗いあげねばなりませんでした。外洋に出るまで、それもできませんでした」
問題は、汚染されていない海水に頼る艦内の水供給システムにあった。
「艦内の脱塩装置を使って自前の水を作っています」とプライムが説明した。「だから、艦内中すべての水を排出し、清浄になるまで検査しなければなりませんでした。大変でした。海から水を得ていて、海は汚染されていました。そして、水は艦上すべてのものの中にありました」
任務遂行中の航空母艦の洗浄は、簡単な仕事でなかった。「艦体をすっかり封鎖しなければなりません」とエニスがいった。「それから、汚染された人はだれでもゴシゴシ洗うのです。区画ごとのすべての道具やあらゆる物を洗いあげるのです。そして、3か所で検査を受けて、体の内外に放射能がないか確認し、ようやく艦内のきれいな部分に入れるのです」
レーガン自体の核発電装置は、じっさいに発電しているタービンに欠かせない冷却システムに清浄水を必要としていたので、航空母艦内の電力が削減された。核発電装置の「清浄」な側が汚染されれば、水兵たちがそこで働くのは不可能になる。
「水をすべて遮断して、艦内から汚染がすべてなくなるまで排水したのです」とエニスはいった。

事故後の世界を生きる
大柄な黒人水兵は、甲板の下のロープを張った区域のなかで裸になっていて、あまり愉快ではなかった。
「彼は『ぼくのブーツじゃなかった。妻がぼくに買ってくれたんだ』といいつづけていました。でも、結局、ブーツを脱がされて、そこにいたのです。裸で。そして、ゴシゴシ洗われました」と、海軍最新鋭の航空母艦のひとつ、米艦ロナルド・レーガンの航海士、モーリス・エニスは情景を語った。
「彼は、艦体を洗うのに使っていた、この実にいまいましい代物を与えられました。一種の液体紙やすりのようなものです。そして、みなが見ている前で、全身を洗わなければなりませんでした。それから、流しに歩み寄って、洗い流すと、体をガイガー・カウンターで走査されるあいだ、立っています。ガイガーが沈黙するまで、それを繰り返しつづけねばなりません。
「次はわたしの番です」
2011311日、地震と巨大津波によって破壊された日本北部沿岸の沖合で開始された大規模な捜索・救助活動、オパレーション・トモダチは暗転した。複合した天災は、約20,000人の死者、沿岸地域のインフラの破壊をもたらした。日本語の「友だち」から採ったトモダチは、日本政府の要請を受け、アメリカ国務省と国防総省が調整した80日間の派遣任務だった。国防総省は、速やかに63か所の在日基地を動員し、水兵および海兵隊員5,500名乗組の米航空母艦ロナルド・レーガン、それに4隻の駆逐艦――プレブル、マッキャンベル、カーティス・ウィルバー、マケイン――巡洋艦チャンセラーズヴィルおよび支援艦船数隻からなる、レーガンの打撃群を呼び戻した(リンク)。
米空母レーガン発着甲板からの発進

だが、救助派遣任務はたちまち危険で未公認の下り坂をたどることになった。地震が福島第1原発の1号炉を破損し、津波が1から4号炉すべてを制御する安全システムの全電源をダウンさせた。派遣任務の規制範囲は、原子力規制委員会とエネルギー省の関与により拡大した。
1から3号炉までの燃料は急速にメルトダウンした。4号炉の燃料は、計画燃料再装填のために抜き取られて――原子炉そのものの上に設けられた――使用済燃料プールに格納されていた。315日まで相次いだ爆発が、4棟の原子炉建屋すべての屋根や壁を吹き飛ばし、放射能が大気中に漏出した。
これらの建屋のどれにも水を循環させるための電力がなかったので、日本人は間に合わせでしのぐしかなかった。彼らは強力な給水トラックをアメリカ人から借りて、建屋に上から水を注ぎ入れたので、水は使用済燃料プールと原子炉を流れ落ち、底に達して、海に流出した。だが、その間ずっと、東京電力と日本政府は放射線災害の過小評価に努めた。現に汚染度が高く、制御不能だったとき、東電は放射能がわずかしかない、あるいはまったくないと断言していた。
日本に70,000人の米軍要員とその家族が駐留しており、国防官僚たちは、全員を避難させなければなるかもしれないと危惧していた。フクシマから300キロ南の横須賀海軍基地で放射線量の増大が検知され、同基地の家族は避難させられた。アメリカ当局者らが日本人は正直でないと確信したのは、その検出によってである。横須賀が脅威を受ける規模で放出されたはずの放射線量を計算することによって、日本人による保証にもかかわらず、NRC当局者らは、原子炉が破損したと正確に推論した。
だが、優勢な関心事は、陸上施設のアメリカ人だった――オパレーション・トモダチの男女は見過ごされた。そして時には、ヘリコプターが行ったり来たりし、生存者を捜索したり、食料や物資を運んだりしていたので、フクシマの海岸からほんの4キロばかりの海上に彼らはいた。
海のアメリカ人たちは自分たちの道をたどっていた。

つのる恐怖
エニス操舵手にとって、除染のための待機はまったく予想外のことのなりゆきだった。操舵手の主な職責は2つ、艦の舵取りをすること、マストに掲げられた信号旗を扱うことであり、後者の場合、艦隊のほかの者たちに旗艦のやっていることを知らしめていた。エニスは、マストのてっぺんで2週間はためいていたアメリカ国旗を運び降ろし、艦長室に持ってくるようにと命じられた。
「わたしはそれを運び降ろしました」と彼はいった。「うやうやしくたたみ、ぴったり体につけて右脇下にはさみました。中に運び入れ、置いてきましたが、なんの考えもありませんでした」
夕食後、感知器の横を通ると、「アラームが鳴り響きました」と、彼は状況を説明する。「するとみながわたしに、だれにも、なににも触るな、まっすぐ除染区域へ行くんだ、と喚くのです」
ロープの張られた「除染」区域には、検査を待つ男女の行列ができていた。だが、エニスは待たなくてよかった――すでにマークされ、先頭に誘導されると、そこでは、レーガンの幹部士官と上級医官の用心深い目の前で、劇的情景が進行していた。室内中央にいる裸の水兵が、体をおおうタオルを渡され、出ていった。エニスが呼ばれた。
「彼らは、放射能はないといっていました」とエニスはいった。「彼らが艦内に放射能検査ステーションを設置しはじめたとき、そこにいる理由をいいませんでした。わたしのブーツを検査すると、なにもありません。それから、わたしの両手を検査すると、機械がすごいことになりました。
「検査をしていた男はビビってしまい、『彼から離れろ!』といいました。次に起こったことは忘れられませんが、両腕にビニール袋をかぶせられ、彼らは、彼から離れるように、とみなに告げていました。伝染病持ちのように扱われましたので、ほとんど不安発作に襲われました。彼らはわたしに触りませんでした。どこを歩かなければならない、なにをしなければならない、と命令を喚いていました。わたしの両腕と右脇をこのザラザラする塗料剥離剤でゴシゴシ洗わなければならず、皮膚を2層分剥ぎとってしまいました」
エニスは、その時もその後も、彼の放射線値を正確に告げられなかった。彼は艦内乗員のうち記録された最高レベルだといわれはしたが。しかし、そのとき、放射線値は一番の関心事ではなかった。未知のものへの恐れが注意力をむしばんだ。士官たちは彼を見つめ、吠えるように命令していた。彼の水兵仲間たち――男も女も――除染ステーションの端っこで放射線検査の順番を待ちながら彼を無言で見つめていた。
「とてもきまり悪かったです」とエニスはいった。「半裸姿で怒鳴られ、いろいろな人の前でゴシゴシ体を洗っていて、なにが起きているのか、いってくれないものですから怖かったです。彼らのふるまいから、わたしは本物の問題を抱えていると思いました。そして、それが乗組員たちを怖がらせていました。お前は死ぬのか? お前は癌になるのか? お前は艦から降ろされるのか?と自問するのです。わたしは自分の肌が水ぶくれかなにかになるのか、知りませんでした。わたしはなにも知らなかったのです」
海軍は、放射性粒子は石鹸と水で洗い流せると確信していた。それは一部ほんとうだった。最も弱い類、アルファ線を放出する粒子は、なめらかな表面から洗い流せる。もっと強いベータ線を放出する粒子は、体内に侵入する入口になる傷が肌にないかぎり、やはり洗い流せる。しかしながら、海軍が使う研磨剤入りの塗料剥離石鹸は、皮膚の最上層を剥ぎ取る。加えて、空母の発着甲板はなめらかなプラスチックやガラスでできていない。単にゴシゴシ洗うだけでは、そのような穴だらけの表面から粒子を取り除くことはできない。
レーガン乗員らは、広大な海洋上では心配するほどの放射能はないと保証され、同艦の航海士、エニスは放射能がはっきりと識別できるプルームであり、避けることができると信じこまされていた。今では、放射能の雲はいたるところにあり、常に避けられるとは限らないことが明白になった。
長さ450メートルの甲板上では、さらにもう一つの警戒すべき徴候が見られた。
「わたしはデジタル時計を持っていました」とジェイム・プライム操舵手はいった。「それが急に止まってしまったのです。だれかが、放射能のせいだと冗談をいいました。わたしたちは甲板に56人でいましたが、みなが自分の腕時計を見ました――デジタル時計が全部止まっていました。実に高価なのもありましたが、それも止まっていました。
「わたしたちは最初笑っていました。だけど、次には笑いが消え失せ、もはやジョークでは済まないので、なんだかお互いに顔を見合わせていました」
また、甲板の下で働いていた乗員たちには、頼るべき情報がさらに限られていた。ジェニファー・ミッケによれば、ジェット機整備士らはたいがいの航空機部品を検査のために自分たちのところに持ってこさせる。格納庫エレベーターに近づくことは限られていた。
「ハッチ(昇降口)警備が実施されました」とミッケはいう。「飛行隊の人たちが折りたたみ椅子に座って、キャットウォークづたいに甲板へ行こうとしている者はいないか監視しているのです。彼らは、甲板を除く艦内の汚染レベルと下げたいという理由で、艦首だけを通って出入りすることになっていました。
「だから、そこにほぼ終日座りこんで、間違った通路を行く人に向かって怒鳴っていました」
ジェニファー・ミッケ
ミッケは、発着甲板上のジェット機が放射能環境にあると知っていた。彼女はこういう――「発着甲板から戻るときいつも、だれかがわたしのブーツをゴシゴシ洗っては、缶に投げ入れ、持ち去らねばなりませんでした。甲板上に行くことになれば、いつもの自分用ブーツの上に、捨て去らなければならないブーツを重ね履きします。その後、化学・生物・放射能戦防護服を着用しなければならなくなりました」
「わたしたちはマスクと濾過吸収缶を支給されましたが、最後まで使うことはありませんでした」
以上のような予防策がどれほど功を奏したのかは、答えのない疑問である。航空母艦は複合産業都市であり、いついかなる時でも、大小の装置部品が壊れる。損傷の一部は通常の消耗によるものであり、他の故障は事故による。
オパレーション・トモダチの期間中、空気中の放射能の拡散を抑制するために扉の下に詰め込まれたボロ布の有効性は、壊れたドア、損傷したドア充填剤やシールの存在、おまけにいくつかの箇所では水密ドアが外され、レーガンの修理工場に持ちこまれていたという事実によって相殺された。艦内新聞『USSロナルド・レーガン』に、閉鎖区画についての記事が連載された。現実として、同艦は外気が吹き通しの地下墳墓同然だった。

心配することはない
アメリカ海軍の公的立場として、海軍要員のだれにも放射能汚染はほんのわずかでしかなかった。国防総省は、日本の危機のあいだ、さまざまな線量の放射線に被曝した可能性のある約70,000の軍人とその家族の医療記録をまとめるため、2年間のトモダチ医療登録(リンク)を創設した。
登録は201212月に完了した。国防総省は、1か月後、全身および甲状腺の汚染物質線量は、ありうる最大値でも、さらなる検査を正当化するほど深刻なものではなかったと結論した。原因を被曝にまでただれる病気の傾向があるか否か、時間をかけて決定する唯一の疫学的に有効な方法である登録は放棄された。
しかしながら、見過ごされていたのは、70,000の汚染されたアメリカ人のあいだの医学的異常を正確に記録するツールとしての海軍の登録が、その発足時に欠けていたという事実である。海軍は、各人の健康の正確な基準を設定するための徹底的な医療検査を実施しなかった。それどころか、登録は各人の最新健康記録すべての混合物だった。
そのことは、実際問題として、各個人のじっさいの基準健康状態を知る現実的な方法がないことを意味する。その基準がなければ、復員軍人援護局の医者たちは、腫瘍、喘息、あるいは体内や皮膚の嚢胞(のうほう=水ぶくれ)の発現が、放射線被曝時の患者の状態からの根本的な乖離(かいり=かけ離れ)なのか、あるいはオパレーション・トモダチ以前からの健康状態なのか、判断できなくなる。その基準や、大勢の軍人男女のあいだの同様な医療問題を示す実施中の登録がなければ、退役軍人たちが自分の健康問題の根っこに放射線被曝があると首尾よく主張できなくなる。
駐日アメリカ人はたぶん安全であるとする決定は、理不尽ではなかった。核安全技術者のデイブ・ロックボーム(Dave Lochbaum)、ピュリッツアー受賞ジャーナリストのスーザン・ストラナハン(Susan Stranahan)と共著で、メルトダウンに関する本を執筆している、憂慮する科学者同盟の物理学者、エド・ライマン(Ed Lyman)は、政府と独立研究者らの両者が福島第1原発の原子炉からの汚染物質のレベルを計算しようとしたという。
エド・ライマン
「一致した見解は、ありえたほど悪くはなかったというものです」とライマンはいった。「あの短い期間中に、だれかが深刻な線量をこうむりえたと考えるのは難しいです。線量率そのものは、公的な知見でいえば、原発敷地に匹敵するほど高く、永続的な健康影響をおよぼす、あの種の傷害を引き起こしえます。
「それでも、わたしはデータ収集に賛成します。5年では、放射線由来の癌が発現するのには、たいがいの場合、じゅうぶんではありません。データは、多いに越したことありません」
他の人たちはもっと懐疑的である。
「わたしは、はなから登録を信頼していません」と、核技術者であり放射能の環境中拡散の専門家、アーニー・ガンダーセン(Arnie Gundersen)はいう。「ユタ砂漠における軍事計画による原爆被爆者に関して、国防総省が企画した登録はインチキでした。彼らの被曝量は、国防総省の計算よりもずっと大きかったのです」
アーニー・ガンダーセン
「国防総省には、人びとを害ある方途に追い込んだ上、被曝を軽視してきた歴史があると知っていたので。わたしはこの最近の試みに信頼を置きませんでした」
トモダチ登録が棚上げされたことについて、「がっかりしましたが、驚きません」とガンダーセンはいった。「ロナルド・レーガンの乗員たちが司令官らの主張よりも高い線量の被曝をしたのは、まったく明白です。あまりにも大勢の人たちが共通の症候を抱えていましたので、わたしは集団ヒステリーのせいにはできません。
「数えられていない大きな数の一つが、希ガスのものです。希ガスは空母に吹きつけて、付着しませんでしたが、粒子を洗い流すために甲板をゴシゴシ洗っていたとき、人員たちに吸引されました。あれは良くない徴候でした。180キロ沖合で粒子を摂取するとは想定されていません。だから、水兵たちはいったいぜんたいなにを吸引したのでしょう? 彼らの肺は、甲板の上や海水中にあったのと同じ代物を取り込んだはずですが、国防総省の被曝評価のどれひとつとして、水兵の肺のなかのホット・パーティクルを計算に入れていません」(リンク 
そして、オパレーション・トモダチに参加した人びとは、問題があると知っている。
巻き添え被害
「わたしの健康は、去年のはじめに悪くなりはじめました」と、米空母レーガン乗組のF18機体構造整備士・兼・危険物質調整官、ミッツはいった。「330日、カリフォルニアで司令官交代式のおり、整列して立っていると、はじめて失神しました。
「ただの脱水症状だというものですから、衛生兵待機所で座って、水を1本飲みました。次に429日、またも失神し、今度は緊急処置室に運ばれ、わたしは頭痛がするといいました。
「かれらは『おそらく君は頭を打ったのだろう』といいました。そこで、CATスキャン(コンピュータX線体軸断層検査)をして、戻ってくると、『君の脳にこの塊があった』といいました。それ以来、手術を2度受け、わたしは海軍を退役しました」
ミッケの前頭葉に軍医らが見つけたのは、専門用語になるが、レベル2の乏突起星細胞腫((Oligostrocytoma)だった。それは、論理的な話法をつかさどる頭脳領域に巣食う、悪質で不治の癌である。腫瘍(しゅよう)の大きな塊を切除すると、空洞を残し、それが崩壊して、付随的な障害の原因になることがある。
昨年の秋、2回目の手術のあと、ミッケはこういわれた――「現時点で、それは進行性ではない。残した部分はじっとしていて、活動していない。あることはあっても、悪さをせず、害にならないので、最悪ではない。
2か月ごとに通院して、検査を受けています。とてもストレスですが、耐えられる生活であることは確かにいえます」
生活とは、元の振り出し、ウィスコンシン州ソープは両親の農場に戻って、癌の再発を待っていることを意味する。ミッケはこういった――「いまの段階では、医者の予約がどっさりあるので、1週間5日働くことに限っていえば、なにをするにしても難しいです。わたしは車を持っていませんので、どこに行くにしても、両親が運転してくれます」
彼女は、原子炉の状態と放射能放出に関してアメリカ政府に虚偽情報を伝えたとして東電を訴える集団訴訟に加わっている。彼女の体調もそのせいだと非難するからである。
「わたしが主として訴訟に関わることになったのは、同じことが他の人たちに起こってほしくないから、まただれかが説明責任を負うはずだからです」とミッケは説明した。「隠しごとは長い目で見て人の生活をめちゃくちゃにしますし、このようなことがだれにもおこってほしくありません」
「海軍については、もっとやるべきことがあったとは思いません。訓練していなかったのです。入手できた情報にもとづき、最善を尽くしました。それに、ともに働いた人たち、わたしがいた場所に大事な思い出があります」
ミッケが海軍在籍中に失神し、診断を受けたのは、ある程度まで幸運だった。目下のところ、彼女の医療費は公費負担である。だが、それも変わるかもしれない。
「医者たちは、病気が公務に関連しているか否か、まだ決めていません」とミッケはいった。
国防総省が、放射線が人員に病気を引き起こさなかったと事前に決定し、トモダチ医療登録――健康問題の様態を決める唯一の疫学的措置――を中止した以上、ミッケは、不治の癌をかかえ、医療費給付の受けられない海軍退役軍人になるかもしれない。

早すぎる老化
マイケル・セボーン(Michael Sebourn)は、海軍航空機整備士を務めてきた17年間、数多くの部品が消耗するのを見てきた。厚木で面倒をみてきたヘリコプターの多くは酷使され、安全確保と最大性能を保証するために部品は交換された。だが、オパレーション・トモダチのあいだ、ヘリコプター部品――特にラジエーターと送風管――は、エンジンに吸い込んだ膨大な量の放射性粒子のため、飛行ごとに交換された。
「ラジエーターを再度取り付けることはできませんでした」とセボーンはいった。「取替えなければなりません。水と石鹸で満たした容器のなかへ廃棄し、それを警察ラインのようなロープ張りの背後に置かなければなりませんでした。そして、放射線が漏れていないか、毎日、測定しました。
「容器は放射線を出し、放射性物質がそれ自体で減衰するまで何年も何年もかかります。着ていたタイベック防護服を脱ぎ、切り裂いて、やはり容器に詰めました。封印されたり、汚れたりしているものは、放射能が固着しているので、容器行きです。容器に詰め込めば詰め込むほど、放射線量は高くなりました。勝手に成長しているようでした」
それは、2011年春のてんやわんやの80日間のことであり、セボーンは永久に過ぎ去ったことだと考えた。彼は間違っていた。彼の齢8歳の息子、カイが20115月に訳もわからず病気になった。
「嘔吐発作がつづき、3週間、学校を休みました」とセボーンはいった。「当時、嘔吐すれば、帰宅させるという規則がありました。カイは日に10ないし15回吐きました。気分は悪くなかったのですが、嘔吐が止まりません」
「やがて、ストレスの診断がくだされました。いまだに症状があるのですが、どうしてそうなのか、判断できないのです」
だが、セボーンは健康だった。ただし、去年までは。
20123月、わたしに海軍医官らの説明がつかない医療問題が現れました」と彼はいう。「体の右側の筋力が通常の40から50パーセントなのです。「磁気共鳴画像法(MRI)やX線診断、超音波検査を受けましたが、どこが悪いのか、わからないのです。
「腕、胸、肩に痛みがあり、左側が不釣り合いに大きくなっていますが、わたしは右利きなので、そちらのほうをよく使うのに、奇妙なことです」
セボーンもカイも遺伝病のカウンセリングも検査も受けていない。17年間の就役のあと、海軍はセボーンだけの5年間の医療費を負担した。「その後、自費負担です。軍隊を退役すると、短期間は医療給付がありますが、家族の分はなしです」
5年間が過ぎれば、どうしますか? 「いい質問だ」とセボーンはいうが、彼の右側の体力は落ち続け、まるで体のその部分が年齢不相応に老いつつあるようだ。
70,000軍人とその家族のためのトモダチ登録は、その問題に役立つものと考えられ、将来10年か15年たって健康問題が現れると、わたしたちは医療給付の適格者になるだろうとわたしは理解しています。
「だが、最後の最後に国防総省は事業計画を廃棄しましたので、わたしたちがどうなるかわかりません」
東電相手の訴訟に彼が加わった理由の一つは、原子力発電企業が引き起こした被害の責任をとり、将来の医療費負担を賄うべきことである。
「放射線に関して海軍に怒ってはいません――扱ったことがありませんので、海軍はなにが起こるか知らなかったのです。海軍は決してウソをつきませんでした。海軍は最善を尽くしました。わたしたち全員、盲目飛行をしていたのです」

官僚主義の海を航行する
米艦ロナルド・レーガンとその随伴艦隊、第7打撃群がオパレーション・トモダチの終結とともに船足速く日本を離れると、プライム、エニス両航海士は安堵を覚えた。終わったのだ。放射線検査チームも安全だといっている。
プライムとエニス
「内部汚染やなんかの検査はしていません」とプライムはいった。「わたしたちの皮膚の上を走査しただけです。血液検査や他の類いの検査もしていません」
「わたしたちはあそこに80日間いました」とエニスはいう。「終わりに向かうころ、わたしは下(あご)に小さなしこりがあるのに気づきました。検査してもらえるかどうか、見にいきましたが、そのとき、放射線専門家はどこかへ飛んで艦内にいませんでした。
「その後、わたしはひどい胃潰瘍を覚えはじめ、しこりがもう2つ――ひとつは下腿、もうひとつは両目のあいだに――できました」
レーガンは1年間の除染と総点検のためにピュージェット湾(ワシントン州)に向かった。エニスは4年期限の就役登録だったので、5年間の航海契約をしていたプライムを待つための期間を生産的に過ごすため、ワシントン州ブレマートンのオリンピック・カレッジに入学した。
エニスはこう語った――「海軍の語り草のすごいところの一つは、退役すれば、髪を伸ばし、でっかいヒゲを生やすことです。なぜなら、海軍にいるあいだ、顔はつるつる、短髪でなければなりません。
「さて、わたしは髪を伸ばし、山羊ヒゲを生やしましたが、すると髪の毛が抜けはじめたのです。いまめったに(くし)を使いませんが、それは、くしけずると櫛で毛がごっそり抜けるからです。それにものを書いていると、右手が震えます」
身長190センチ近くのがっしりしたアスリート、エニスはオリンピック・カレッジのフットボール・チームの最優秀選手であり、400メートル短距離走のタイムは、2012年オリンピック予選タイムの2秒以内だった。いま、終日、そういうことをするエネルギーを振り絞るのも難儀である。
「わたしはやっと25歳です」とエニスはいった。「体が衰えていっています。いまのように惨めであるはずはありません。自分の体の面倒をみるわたしの流儀が通用しなくなり、体内でスイッチが切れたようなものです。そのため老いぼれになったような気がしますが、面白くありません。
「放射能がなにをしたのか、わかりません。だけど、自分のせいではないとわかっています」
彼は、海軍から、医療記録を「紛失」し、彼の現在の問題の原因を米艦ロナルド・レーガン搭乗勤務に求める方途はないと通告された。したがって、医療費は支給されない。
プライムにとって、当初、問題はとるに足らないように思えた。「6か月間、月経が完全になくなりました」と彼女はいった。「なぜ止まったのか解明できなかったので、1億回も妊娠検査をしました。
「すると6か月後、とても重いのがやってきて、大出血し、卒倒しましたので、緊急処置室行きになりました」
はっきりした医学上の説明がつかない再発性の症状です、と彼女はいった。通常の月経期が病院内の医療介入を要するほどの急激で無制御な出血へと突発的に変質するのだ。20123月、彼女は喘息を発症し、12月に海軍を除隊するまでに6回連発の気管支炎の最初の症状に襲われた。
海軍は婦人科病問題を就役に関連するものと考えていない。吸入放射性粒子がプライムの肺疾患に影響している可能性は、国防総省がオパレーション・トモダチ参加に起因する健康問題はないと決定したとき、問題外になった。
元航海士たちはフロリダ州ジャクソンヴィルに移り住み、セントジョンズ・リヴァー州立カレッジに通学し、ノース・フロリダ大学への編入を望んでいる。彼らは、海軍時代の楽しい思い出を共有する。
「わたしの一部分は、海軍が故意に乗員を傷つけるようなことをしないだろうと信じたがっています」と彼女はいった。「あの時期のニュースを幾つか憶えていますが、日本人は、原発からの危険はない、放射能は漏出していない、すべて制御されているといっていました。
「日本人はウソをつき、わたしは彼らを非難します」
しかし、エニスは引き裂かれている。「日本人はわが国政府にウソをつきました」と彼はいう。「わたしの一部分は、海軍が乗員にそのようなことをしない、あのような危険な状況をわざとわたしたちに押し付けないと信じたがっています」
「だが、海軍はまさしくそうしたのだといっている部分もあります」
☆ ☆ ☆
――日本からの報告者、ウィニフレッド・バードが本稿に寄与
筆者、ロジャー・ウィザスプーンは『Energy Matters』サイトの主宰・執筆者。

Wm・ロジャー・ウィザスプーンは、ジャーナリスト、作家、教育者、パブリック・リレーションズ専門家として、あらゆる形のメディアで仕事して、40年間以上もすごしてきた。彼は、州政と国政、国際関係、財政、防衛、公民権、憲法、健康、環境、エネルギーに関して縦横に執筆してきた。
彼の職歴の大半は、常勤記者、編集員、コラムニスト、あるいはプロデューサーとして、新聞(ニュージャージー州のザ・レコード、同州のスター・レジャー、ニューヨーク・デイリー・ニュース、アトランタ・コンスティチューション、ダラス・タイムス・ヘラルド、ニューヨークのジャーナル・ニュース)、テレビ(CNNKNBCNBCネットワーク)、ラジオ(MCBMMI)など、さまざまなメディア企業で働く、報道業界のものだった。
彼は、フリーランスのライターとして、タイム、ニューズウィーク、フォーチュン、エッセンス、ブラック・エンタープライズ、エコノミスト、USブラック・エンジニア&ITなど、数社の出版物に書いてきた。
著作に“Martin Luther King, Jr.”、“To the Mountaintop”、共著に“Feats and Wisdom of the Ancients”がある。
ウィニフレッド・バード(Winifred Bird)は日本からの報告の形で貢献した。彼女は長野に在住するフリーランス・ジャーナリストである。彼女の記事は、ジャパン・タイムズ、サイエンス、エール環境360、ドエルほかに掲載されてきた。

転載・引用のさいに推奨される標記:
#原子力発電_原爆の子 
アジア太平洋ジャーナル
 Vol. 11, Issue 12, No. 1 2013318
福島救援活動の永続する遺産
核の幽霊といたちごっこ
http://besobernow-yuima.blogspot.jp/2013/04/blog-post_23.html
Recommended citation: Roger Witherspoon, "A Lasting Legacy of the Fukushima Rescue Mission: Cat and Mouse with a Nuclear Ghost," The Asia-Pacific Journal, Vol. 11, Issue 12, No. 1. March 25, 2013.
http://japanfocus.org/-Roger-Witherspoon/3918

本シリーズPart 1オパレーション・トモダチ:米海軍兵の被曝
関連Japan Focus記事: 
Roger Witherspoon, Japan's Throwaway People  
Lucy Birmingham and David McNeill, Meltdown: On the Front Lines of Japan's 3.11 Disaster
Iwata Wataru, Nadine Ribault and Thierry Ribault, Thyroid Cancer in Fukushima: Science Subverted in the Service of the State
Shaun Burnie, Matsumura Akio and Murata Mitsuhei, The Highest Risk: Problems of Radiation at Reactor Unit 4, Fukushima Daiichi
Timothy S. George, Fukushima in Light of Minamata

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