2014年4月16日水曜日

【#FAIREWINDS】 いまふたたび命を見つめよう…


いまふたたび命を見つめよう…
Bringing The Focus Back On Life
2014年4月10日

福島第一核惨事は、これが単に日本の危機だけにとどまらないことを見るための扉を開いた。これは地理と時間を超えた危機なのだ。時間軸を60年遡って、漁船・第五福竜丸、そして日本の人びとに原子力を押し付けるアメリカの方策にこの危機の根源を探る。
テキスト
フクシマ核惨事3周年
いまふたたび命を見つめよう…


ようこそ、フェアーウィンヅ・エネルギー教育の理事、金子ちほです。

わたしが日本から戻ると、いつもアメリカの人たちに「では、いま日本はどうですか?」と聞かれます。
福島第一核惨事はわたしにとって、これが単に日本の危機だけにとどまらないということを見るための扉を開きました。これは地理と時間を超越した危機なのです。
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福島第一の状況はいまだに緊迫しています。しょっちゅう「これまでで最高レベルの放射能を監視井戸で検出した」「汚染水を保管しているタンクにまた破損が見つかった」といったニュースを聞きます。でも、日本の普通の人たちはますますニュースを気に留めなくなっています。極めて異常な事態でも、慣れっこになっています。
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福島第一惨事3周年の今日、わたしは60年前に起こったできごとについてお話します。
196431日、キャッスル・ブラボーという米軍の秘密作戦、マーシャル諸島ビキニ環礁の水爆実験が実施されました。水爆の威力は米軍による計算よりも、ずっと、ずっと強力なものになり、風下の島々の住民を含め、多くの人びとが大量のフォールアウトの悪影響をこうむる結果になりました。このフォールアウトは、たまたま核実験場から160キロメートルの海域にいた日本のマグロ漁船、第五福竜丸、#5ラッキードラゴンの乗組員23名にも襲いかかりました。

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わたしは被爆した漁民のひとり、当時20歳だった大石又七のインタビュー記事を読みました。

195431日の朝早く、大石さんは水平線の上に鮮やかな光を目撃し、その少しあと、ドドっと重い地鳴りのような音が海の下から聞こえました。そして、水平線に巨大なキノコ雲が見えましたが、乗組員は何が起きているか、わかりませんでした。2時間もすると、キノコ雲がすごいスピードで船に迫り、真っ白な灰が彼や他の乗組員の上に降ってきました。それがなにか、まだわかりませんでした――灰は熱くも冷たくもなかったのです。
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まもなく、漁民たちは吐き気とめまいに襲われました。23日してから、灰(ほんとうは噴き上げられたサンゴ礁)に触れた部分が火傷をしていました。10日たつと彼らの髪の毛が抜けはじめました。船は314日、なんとか日本の岸辺に帰りつきました。最初、意図的にSOSを発信しなかったのは、米軍に撃沈されるかもと恐れたからだと推測されています。
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乗組員のひとりが6か月後に亡くなり、日本で大規模な反核運動が巻き起こるきっかけになりました。日本政府も検査をし、米国政府による海が放射能汚染物質を無視できるレベルに希釈するという保証に反して、放射能を帯びたマグロを見つけました。1955年末までに3000万人を超える日本人が核兵器禁止を求める請願に署名しました。

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反核・反米感情の盛り上がりは、まさしく第二次世界大戦後に米国が望まないものでした。米国はまもなく、国益を守るための方策を実施しました。19544月、業務調整庁(OCB)――前年にアイゼンハウアー大統領が創設した執行委員会――が「水素爆弾および関連開発に対する日本国民の好ましからぬ態度を相殺するための米国の行動に関する概要チェック・リスト」と題する内部文書を発行しました。
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OCB報告はまた、米国が日本国内で実験用原子炉を建造すると提案すべきであると勧告していました。アイゼンハウアー大統領は、日本国民の心に宿る核テクノロジーのイメージを死の軍事技術から安定と繁栄の象徴に転換する米国の尽力の一環として、「平和のための米国の原子力」プログラムを起ちあげました。
このゴールを達成するために米国は、第二次世界大戦後に事実上の米国植民地になった日本に成長著しい核産業の経済的・戦略的恩恵を分かち合う機会を提供しました。
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日本政府は独自の野心を胸に、この取引を喜んで受諾し、ほどなく世界有数の積極果敢な原子力推進国になりました。
1955年、日本で原子力基本法が制定され、1960年代半ばには、日本は最初の商業用原子力発電所を保有しました。
これは、日本の人びとに、そして世界の人々に、どのように原子力が押し付けられたのかを示す、ささやかな一例であるにすぎません。
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わたしは第五福竜丸の乗組員の名前――大石又七――をあげました。だけど、とても、とても多くの人びとがいて、名前すらわかりませんが、それでも彼らは被爆し、病気になり、おそらくフォールアウトに触れたことで亡くなっています。マーシャル諸島の住民は、この実験のあと、避難を強制されたのですが、2年後に彼らの汚染された故郷の島に戻されただけであり、彼らが飲んだ水、収穫した食品を通して、さらにまた放射性汚染物質に被曝しました。
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大石さんは米国政府から200万円――当時のレートで約5500ドル――を受け取りました。日本人の一部は、この金を受け取ったことで彼にありとあらゆる悪口を浴びせ、さげすみました。彼はまた、「被爆者」としての差別を受けました。大石さんは引っ越しを余儀なくされ、ヒロシマとナガサキの出身者の一部と正しく同じように、また今日、フクシマ出身者の一部がしなければならないように、何年も本当の正体を隠さざるをえませんでした。米国政府から受け取った金は、子どもが死産した時でさえも、やがて彼が肝臓癌に侵されたときも永久に苦情を申したてる権利を剥奪しました。

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これまでの数十年間ずっと、わたしたちの一人ひとりがますます増えていく放射能がわたしの環境のなかへ、わたしたちの体内に入るがままにすることを余儀なくされています。見ることも、嗅ぐことも、味わうこともできない放射能が、スリーマイル・アイランドとチェルノブイリを含む核惨事により、あのすべての核実験により、イラクや他のあちこちにいまだに投下されているすべての劣化ウラン弾により、大平原北部の水と土壌を汚染し、平原住民だけでなく、彼の地で産する食品を食べるこの国の人びと全員の健康を危うくしているウラニウムの廃鉱山により、天然にウラニウムが混入している平原産の石炭を使う石炭火力発電所の稼働によって吐出される煙により、わたしたちの環境を汚染しています。

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放射線被曝量を数値化するのは困難です。第二次世界大戦以降、人体に対する放射線の影響に関するデータは収集されてきましたが、兵器の威力と原子力を欲する核産業と諸国政府によって隠蔽されてきました。過去の惨事で得られた真実の情報の多くは世界各国の政府によって機密指定され、しばしば操作されています。大石さんが船上で経験したことは、急性の形態の放射線被曝でした。ですが、彼に対してさえ、彼の病気とあのできごととのいかなる関連も否定されつづけてきました。

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同じ手口が世界中で何度も何度も繰り返されています。
今月の末はスリーマイル・アイランド事故の35周年にあたります。ノース・カロライナ大学のスティーブ・ウィン博士による疫学調査によって証明された地域住民の疾患と突然変異の逸話があります。しかしながら公的には、米国政府は被災住民の健康異常を認知することを拒否してきました。

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では、今日の日本で進展している事態のことを考えてみます。わたしは憂慮すべきなにかが起こっていると感じています。家族や友人が突然死するとフクシマの人たちが打ち明け話をするのを何度も聞きました。ある例では、赤ちゃんが突発的に亡くなりました。このような病気や死亡は、福島県だけの話ではありません。東京で病気がひどくなっています。わたしは、福島第一原発から約50キロメートル、福島県川俣町に住んでいる家庭菜園愛好家に会いましたが、彼女は、果実を乾燥させて浴場用スポンジに仕上げることが多いヘチマを育てています。去年、彼女はいささか不安に思いながら、前年から持ち越しの種子を撒きました。彼女は果実から直に花芽が生えているのを見つけました。
また彼女のインゲンのいくつかは、異常に巨大でした。

福島市の近くで、別の人が奇形のカエルを見かけ、それがとてもひどい奇形だったものですから、跳びはねるのは別にして、最初、これはカエルだと言い当てるのもむつかしかったそうです。以上の話は、わたしが会った人たちが説明した本当のことであり、その人たちはこうした環境異常を記録したり写真に撮ったりしていました。
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12月から1月にかけて1か月の日本滞在で、わたしもまた、普通でない症状を経験しました。皮膚に発疹ができたのですが、治らないのです。フクシマにいたとき、喉がいがらっぽくなり、眼に痛みがありました。
なにかが起こっているのですが、それでいて、なにも証明できないのです。

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IAEAと福島県立医科大学とは共同で福島県民の健康データを収集し、照合しています。この仕事は単なる見せかけではないのか、あるいはなお悪いことに、秘密のデータを集めたいだけではないのかと人びとの多くが危惧しています。「専門家ら」には予断にもとづく結論があるのだと心配する人たちが多いのです。その結論とは、人びとが病気になるとすれば、福島第一原発事故のせいではないというものです。
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昨年12月現在で、原発災害時に18歳以下であった福島県の未成年者254,280人のうち、74人が甲状腺癌またはその疑い例であることがわかりました。その子どもたちのうち、必要ということで、すでに手術を受けました。福島第一核惨事以前の子どもたちの甲状腺癌の発症率に関して、互いに違ったデータがあります。100万人あたり12人という人もいますし、100万人あたり17人という人もいます。どちらに比べても、現在の福島の数値は驚異的です。

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イライラすることに、日本と海外の放射線専門家らはこれらの甲状腺癌は福島第一事故とは無関係との見解を維持しつづけています。
同じパターンが何度も何度も繰り返されています。
いつまでこのパターンが繰り返されるのでしょうか?

日本人の多くが、毎日決めなければならない選択に向き合っています。
マスクを着用するのか、しないのか。
子どもを連れて、家から汚染度の低い土地に移るか否か。
セシウムが入っているかもしれない、このほうれん草を買うか否か。
いまでは膨大な量のストロンチウム90が福島第一から太平洋に流出しているのが周知のことになっているのに、魚を食べるか否か。

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けれど、わたしたちの人生で最重要な選択は、わたしたちの誰にも決して手の届かないものでした。採掘されたウラニウムのすべて、その結末としてのわたしたちの暮らしのなかの放射性核種を受け容れるか否か選択することはわたしたちに許されていませんでした。

福島第一核惨事は、わたしにとって、これが単に日本の危機にとどまるものでないことを見るための扉を開けました。これは地理と時間を超えた危機なのです。

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いま、わたしたちになにができるでしょうか?
ときに、わたしの大きな部分が状況を修復するには手遅れだと感じます。
これは世界政治と経済の泥沼にはまりこんだ状況――力とお金を奪い合う闘争――なのだ。祈りによって重武装した人びとの行進を止めるのは厄介だ。
だが、これだけは言わせてもらいましょう。すべての命は、いかに小さくとも神聖なのです。

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生命を気にかけるなら、わたしたちは少なくとも核汚染のペースを遅らせる方途を見つけようとしなければなりません。そして、放射線の影響についての解釈をいわゆる専門家たちに委ねるのではなく、人間たち、動物たち、植物たち、この地球上の生きとし生けるものに現実になにが起こっているか、注目しなければなりません。
真実とは、わたしたちの土壌から空気、水、わたしたちの家、わたしたちの社会、わたしたちの家族まで、わたしたちを支えてくれるすべてを一度失ってしまうなら、いくらお金を積んでも、修復することはできません。

1703
本日はご一緒いただき、耳を傾けられ、またこれまでの3年間、日本の悲劇に関心をご表明いただき、ありがとうございます。
あなたの慈悲のこころがわたしにとても大きな強さを与えてくれます。
勇敢に状況にかかわる日本のみなさんにも感謝します――
1727
疲れを知らず、地域行政や学校に子どもを守るためにもっと頑張るように請願する、20代、30代、40代のお母さんたち…

自力で土壌や食品を検査し、他の人たちに情報を分かち合う市民科学者たち…

いかなる瞬間も命を削っている福島第一作業員たちに対する言語道断な処遇に光を当てる労働運動家たち…



1800
東京圏の子どもたちの健康異常が急増しているのを見て、警告を表明する医師たち…

とりわけ今日の日本の環境、政府の方針を批判する人たちに対してますます険悪になっていく環境を考えれば、この人たちは真の英雄なのです。
1825
わたしは、なにが起こっているか見つめつづけ、真実を求めつづけたいと願っています。
そしてこの惑星のすべての魂に祈りを捧げます。
【参照記事】




第五福竜丸・元乗組員大石又七さんインタビュー

――事件までの経緯とようすを教えてください
 14歳から漁師になり、20歳のときに乗ったマグロ船が第五福竜丸です。1954122日、第五福竜丸は23人の乗組員を乗せて、焼津港(静岡)を出港しました。31日に14回目の最後の延縄漁を行なっていました。そして、午前645分に事件が起きました。
 朝、私が仮眠していたとき、光が空をサーッと流れ、空が黄色い光に覆われました。徐々に空を覆った光に赤色が加わり、夕焼けのような光景になりました。23分間は光が空を覆っていたと思います。核実験場からは160㎞ほど離れていたので、爆発は水平線の先にあり、乗組員は何が起きているか、わかりませんでした。                                     …つづきを読む