2016年5月20日金曜日

【ネット・ファンディング】#チェルノブイリ☢考古学研究者を世界考古学会議・京都集会に送り込もう!





放射能ヴァイキングを京都に行かせよう


わたしの素敵な友人、オーストラリア、シドニー出身のロバート・マックスウェル(Robert Maxwell)をご紹介します。わたしたちは、ロバートが世界考古学会議で彼の作品を発表するために日本に行かせようとしています。

わたしたちの放射能ヴァイキング(RadioactiveViking)、ロバートはシドニー大学博士課程の大学院生であり、考古学を学んでいます。彼は現代の廃墟に注目しており、チェルノブイリ立入禁止区域を専門に研究してきました。

チェルノブイリは史上屈指の苛酷な人災でした、チェルノブイリから学ぶために、だれかが現場を研究しなければなりません。これが、ロバートの踏み込んだ分野なのです。

ロバートは最近、何度かメディアで人となりを紹介されており、ナショナル・ジオグラフィック(National Geographic)とハフィントン・ポスト(Huffington Post)で彼とその仕事について読むことができます。

ロバートは今、今年の8月、京都で開催される世界考古学会議(日本語サイト:http://wac8.org/japanese/home-j/)で仕事を発表する、またとない機会をつかもうとしています。彼はこのチャンスを画期的な考え方と手法によって招き寄せたのですが、京都行きを実現するためには、少しばかり援助が必要です。

あなたに、この【ウェブサイト】を開き、献金していただけるなら、ロバートは日本に赴き、世界に向けて彼の仕事について発表できるでしょう。寄せられた資金は、航空運賃、食費と宿泊費、学会参加費の支払いの一助になります。チケットを予約し、参加費を支払うために、資金集めを急ぐ必要があります。

新たに興されたばかりであり、既存分野が享受する類いの認知と援助がまだ望めない分野の研究者であることには、なかなか厳しいものがあります。あなたの献金をお願いできれば、ロバートがこの重要な学会に赴くことができるだけでなく、いまわたしたちが生きている世界に関するよりよい理解に貢献することにも役立ちます。ロバート本人がナショナル・ジオグラフィックのインタビュウで申しているように、「基本的にいって、歴史とは、わたしたちが起こったと言うできごとの記録なのですが、考古学とは、現実に起こったできごとの記録です。考古学は、20世紀を含め、いかなる世紀であっても、現実に起こったできごとの唯一のリトマス試験なのです。





National GeographicHuffington PostBored Panda各サイトの彼の記事に、彼の写真がもっとたくさん掲載されています。ロバートのツイッターIDRob Maxwell @radioactiviking.

このページをお読みになり、また放射能ヴァイキングの日本行きをご支援いただき、ありがとうございます!

【献金ページ】

GoFundMe.com, Get the Radioactive Viking to Japan,

【関連記事】

2016425日月曜日


【関連サイト】


National Geographic;


Huffington Post;

Bored Panda;



2016年5月16日月曜日

集会『虹の彼方へ』あいさつに代えて【#郡山通信】神話的現在を生きる

 以下の文章は、5月21日(土曜日)に早稲田の日本キリスト教会館で開催される5年連続集会『虹の彼方へ』第4回に小生が現場からの報告者として招かれましたので、主催者からの要請により、レジュメというより、自己紹介代わりにまとめた拙文にブログ掲載用として加筆し、イメージ画像を加えたものです。

「ここに記されたわたしの物語の目的は、あなたが独自の物語を語るように励ますことなのです」――レベッカ・ソルニット『暗闇のなかの希望―非暴力からはじまる新しい時代(七つ森書館)「日本のみなさまへ」


郡山通信
神話的現在を生きる

ぼくは若いころ、出身地の神戸の小さな商社でタイプライターを相手に仕事していたことがある。ロックやフォークのLP盤とコンポーネント・オーディオが全盛の時代であり、ボーナスをはたいて、ヤマハのスピーカー2本を7万円で購入し、ご満悦だった。

その一週間後、一通のミニコミが舞い込んだ――「野生の聖地、スワノセを守れ!ヤマハ・ボイコット運動」。

吐火羅列島の諏訪之瀬島――環太平洋火山帯と黒潮が織りなす野生の領域――に、当時の和製ヒッピーたちがコミューンを営み、島に自生するガジュマルの英名に因んで、バンヤン・アシュラムと称していた。

時あたかも1970年代、沖縄の施政権返還の背景に、自衛隊基地、石油基地、リゾート基地侵出の嵐が南の島々を襲い、全国的にも乱開発と地域住民闘争が角逐していた時代だった。ヤマハは、世界のヒッピーが巡礼する野生の聖地に目をつけ、リゾート開発を目論んだのである。

ヤマハ・ボイコット運動は、脱・体制(ドロップアウト)志向だったヒッピー運動の一部が「抗・体制」に向かう契機になり、ぼく個人としても、時代に疎外された主体性を取り戻す機会になった。

ヤマハ・リゾート飛行場

  (現在は村に移管)
京都で出会ったカナダ人ヒッピーが、「武器メーカーが爆弾を仕掛けられ、楽器メーカーがロックで攻撃されているのは、おもしろい」といった。大和のオロチは、兵器を製造すれば、楽器も製造する。

和製ヒッピーのロック音楽は、しょせん蟷螂の斧……ヤマハは、港湾、滑走路、リゾートホテルを着々と整備した。だが、時代は変わる。折からの海外旅行ブーム到来とともに、ヤマハの国内リゾート開発は採算倒れに終わり、一時は滑走路に亜熱帯の草木が繁茂した。
枝手久島・鈍(ドン)の浜から反対派集落、平田と阿室を臨む(イラスト:山田塊也)
ヤマハ・ボイコットが収束すると、運動の主力は住民闘争の波に乗って、奄美大島宇検村に移り住んだ。東亜燃料株式会社(エクソン系)が、村の焼内湾の入口に浮かぶ離れ小島、枝手久の周辺海域を埋め立て、石油基地を建設する計画を提案し、村を二分する住民闘争――枝手久闘争――が勃発していた、その核心地、枝手久島の地主が多く住み、シマ(集落)そのものが二派に分かれて睨み合う久志地区に顕部(生活・運動拠点)、そして当の枝手久島に密部(開墾小屋)を置いて闘うコミューン「無我利道場」を構えたのである(「ムガリ」とは、シマクチ[奄美方言]で「偏屈者」「反抗者」の意)。

そのころ、ぼくのヒッピー人生の先達、絵と詩、文が達者な山田(通称、ポン:奇しくも東京電力核惨事の前年のチェルノブイリ記念日、2010426日没)がインドから持ち帰った神話物語『ラーマヤナ』の細密画を見た。魔王ラーヴァナがラーマ王子の妃シーターを天翔ける戦車で誘拐するシーン。魔王の十面の顔は自己満足でほてり、十本の右手は武器を握り、十本の左手は金銀財宝を掴み持っている。四頭の天馬は、強力なエンジンさながらにエネルギッシュだが、目に狂気をたたえ、方向はバラバラ。畑の畝から生まれたシーターは、おそらく大地の娘。インド民衆が連綿と受け継いできたイマジネーション、その一幅の絵に託された世界観に感嘆し、ぼくの脳裏に権力者の正体が刻み込まれた。

東シナ海を前にして、浜辺に佇めば、沖合に紺碧の海原、サンゴ礁に砕ける白波、その内側に青く輝く広大な潮間帯。背後にアダンや蘇鉄の茂み、亜熱帯植生の息遣い。だが、珊瑚が砕けた白砂の浜に目を移すと、現代の寄りもの、夥しいプラスチックのゴミ。なかでも腹立たしいことに、志布志石油基地からアラビア湾に向かうタンカーのタンク洗浄で海洋投棄されたスラッジ粒子がどす黒く光るレース模様を白浜に描いている。沖合の海面下では米ソ両国原潜の艦長たちが超大国の威信を背負って、危険極まる鬼ごっこにふけっていることだろう。

2012年の夏だったか、霞が関の歩道を議員会館のひとつに向かって歩いていたとき、ぼくに話しかけてきた若い女性が、国会議事堂や官庁街、周りを見渡しながら、「まるでSFの世界を歩いているみたい」とつぶやいた。そう、彼女もこの世界の現実に気づいていたのだろう。

時代は変わる。石油基地誘致派と反対派の睨み合いが膠着しているうちに、石油をめぐる国際状況は危機から生産過剰に様変わりしてしまった。鹿児島県による焼内湾水質調査に対する阻止海上行動、無我利道場メンバーの漁協加盟権の確認を求める裁判など、闘争の山場はあったものの、さしたる衝突もなく、東亜燃料が撤退を表明するという、いわば不戦勝である。

ところが1976年に突如、徳之島使用済み核燃料再処理工場計画、いわゆるMAT計画が浮上した。ポンは「ヤマハのピアノを叩いていたら、プルトニウムが飛び出した」といい、ぼくは黒潮にプルトニウムを点滴する悪夢を想像した。宇検村石油基地反対村民会議の若手中心人物はプルトニウム管理社会を夢に見たといった。その地獄とは、「青ざめた人たちがテーブルを囲み、グチグチと陰口や世間話にふけっている」光景だそうだ。

立派な立地調査報告書が流布したものの、MAT計画にさしたる進展はなかった。宇検村の政治状況が平穏化すると、退屈な日常生活が戻り、村当局者に尻尾を振る人たちが目につき始めた。リュック一つで一人入植したぼくは、ライトバンに世帯道具を詰め込み、つれあいと娘一人、飼猫一匹を道連れに、フェリーに乗り込むことになった。友人はぼくの北帰行を「政治難民の流浪」と評した。(なお、当時のぼくには予想外の展開だったが、ぼくたち家族が離村したあと、右翼「松魂塾」の実力部隊が宇検村久志地区に入りこみ、怪我人を出すなど、暴力的な無我利道場追放運動を起こした)

雪深い奥会津に居を定めたぼくは、これから平凡で地道な暮らしを築くのかと思っていた。だが、時代は容赦しない。いま思えば、1986年のチェルノブイリ核惨事が新たな転機になった。脱原発福島ネットワークとつながったことから、会津の地で反原発運動に加わることになった。

その7年前の1979年、スリーマイル・アイランド事故が勃発したときのこと、ぼくはたまたまミニコミ誌『魚里人(イザトンチュ)』印刷のために奄美から上京していた。

若き日のイケメン僧侶、中嶌哲演師(小浜市、明通寺)が通商産業省(当時)資源エネルギー庁のロビーでスリーマイル事故抗議行動の挨拶をしたさい、「五戒の第一戎『殺すなかれ』は、あなたが殺さないだけでは成就しません。『殺さしめるなかれ』、すなわち人の殺生を阻止してこそ成就します」と仏教者の覚悟を吐露した光景を今でもハッキリ憶えている。
世界は変えられる 2


ブッシュのイラク戦争がはじまると、世界的な反戦機運に乗って、商社勤務の杵柄、社長が褒めた拙速主義の英語読解力を駆使し、海外情報や評論の翻訳をはじめ、これが、現在のブログとツイッターを媒体にした反核情報の収集・発信活動につながることになった。

2011311日は転機の最後のダメ押しだった。バブル崩壊を機に花卉栽培を諦めて、奥会津から郡山市に移り、アルバイトをしていたぼくは、仕事を失い、公園の散歩や山歩き、スーパーに並ぶ生鮮食品の品定めなど、都会暮らしのさまざまな楽しみを根こそぎ奪われた。

ぼくたちが313日から10日間、北関東方面に緊急避難していたとき、郡山市民の大方はプルームが通り過ぎるなか、家族総出で公園給水所の長い列に並んでいたはずだ。

核のオロチ、利権国家と国際マフィアを前にして、徒手空拳の庶民では、なす術もないのかもしれない。わが街の主権者、市民は口を閉ざしているようだ。座談会の席で、子や孫たちを被曝から守れと訴えたいというぼくは、店を構えて四代目だという若手商店主に、「現在の放射能レベルは問題ないという専門家もいます。危険だという学者もいます。そのどちら側についても、あなたは『中立』でなくなってしまうじゃありませんか」と諭された。あるいはまた、郡山駅前で反原発バナーを広げている若い女性に中年男が寄ってきて、「オメー、どこに勤めているんだ」と凄む。目に見えない放射性粒子が舞う街の、「目に見えない」被曝地戒厳令の光景……
Nanao or Never


「若いわたしはこころ惑い、愚かな森に踏み入った。ひもじい精神…お情けの乾いた飯にかじりつき、たまには小石も喰った、ざんげのつもり。時には、虚空自身にかみついた」(故・サカキ・ナナオの詩「I am a Yogin. ぼくのミラレパ」)。今の時代を生きるぼくにできるのは、森の暗がりに目を凝らすこと。自分の目で見て、自分の頭で考え、自分の声で発信すること――このささやかな志が、週に一度だけでも街の広場に立ち、押し黙って行き交う郡山市民や旅行者たちに大声で訴えたいこと。

枝手久闘争がきっかけで交流があった先達アナーキスト、WRI(戦争抵抗者インターナショナル)日本部書記だった故・向井孝さんが発行していたミニコミ『イオム通信』の「イオム」とは、エスペラント語で「できるだけ、ちょっとだけ」の意だそうである。やがて、会津の山奥に住む孫たちに「郡山のジイチャンは大きな口を叩けないが、できるだけのことはやったよ」と言えるはずと思いながら、今週の金曜日も夕刻の駅頭に立つ。

(井上利男:#原発いらない金曜日!JR郡山駅西口ひろばフリートーク集会世話人。ブログ「#原子力発電_原爆の子」、ツイッター:@yuima21c

「ニュースがお気に召さないようでしたら、あなたご自身で出ていって、ご自分のニュースをお創りになればよろしいのです」――1970年代、報道記者ウェス・ニスカーによるKTIMラジオ担当ニュース番組の降板挨拶(Rebecca Solnit, “Hope in the Dark“扉)



2016年5月12日木曜日

ABCニュース【海外報道】元漁民ら、#ビキニ☢実験被曝記録隠し倍賞を日本政府に求めて提訴


ABC NEWS 
ABC(オーストラリア放送協会)ニュース

元漁師ら、米国核実験による放射性降下物の記録を隠したとして日本政府相手に提訴

マイクル・アディスン・ヘイデン MICHAEL EDISON HAYDEN
2016511

ビキニ環礁、ブラヴォー核実験(15メガトン)。この実験はキャッスル作戦の一環だった。ブラヴォー核実験は、熱核兵器装置を地表で試験するために実施された。

日本の元漁師45名の団体が自国政府を相手に、米国が「キャッスル作戦」と称して、195431日を手始めに相次いで太平洋で実施した一連の水素爆弾実験による彼らの放射線被曝記録を開示しなかったとして、賠償を求めて提訴した。

一人あたり200万円、米ドルにして18,000ドルあまりの賠償金を求めている原告団は、大半が、核爆発の結果、放射性降下物によって被曝した船舶に含まれる漁船の乗組員であり、今年の2月、キャッスル作戦核実験に関連していると信じられる癌、その他の疾患に対する労働災害補償を提起した申立人10名も含まれている。原告の一部は、死亡した漁師の家族である。

今回の提訴は、マーシャル諸島共和国が20144月、米国を含む核保有9か国が同国にもたらした危害を申し立てた事件とは別の訴訟。

201659日、マーシャル諸島のビキニ環礁における1954年の米国水爆実験に関連する被害の賠償請求訴状を提出するために、高知地方裁判所に向かう原告団。

この提訴のニュースは、オバマ大統領がヒロシマ5月下旬に訪問すると発表したのと日にちが一致しており、オバマ氏は今回の訪問で、現職の大統領として初めて第二次世界大戦末期に十数万の日本国民が核爆発で殺害された現場に立つことになる。オバマ大統領の国家安全保障担当補佐官補、ベン・ローズ氏によるミディアム投稿記事によれば、オバマ大統領の訪問は米国の原爆投下決定を再検討することを意図したものではなく、世界的な核軍縮の目標に向けた、理想的に構想される今後の注目喚起に焦点を絞ったものになるという。

ジャパン・タイムズ紙の記事によれば、日本の厚生労働省は、市民団体などがキャッスル作戦関連の記録を開示してほしいと繰り返し請求した結果、20149月に公表するまで、その記録は存在しないといっていたと伝えられており、その記事はまた、同省は、船舶10隻の乗組員らが放射性降下物によって被爆していたことを認識していたが、その線量が「健康を害するほどのレベルに達していなかった」と主張していたと指摘している。

「史実を世界に発信する会」事務局長、茂木弘道氏など、アメリカによる第二次世界大戦中の核兵器使用を批判する向きは、原爆投下を「戦争犯罪」と断言しており、この問題は当然ながら、日本の人びとにとって終戦時以来、極めて微妙な政治色を帯びた事柄であってきた。

米国務省は、今回の訴訟に関するABCニュースのコメント要請に対して即応しなかった。国務省は1954年以降、1500万ドルあまりの実験被害賠償金を日本政府に支払っている。非営利の環境保護団体、天然資源保護協議会によれば、米国は太平洋で核実験を106回実施している。

東京都内で展示されている第五福竜丸。

月曜日(9日)の提訴のきっかけになった元凶である1954年の核実験シリーズは、コードネーム「キャッスル・ブラヴォー」と呼ばれている核爆発をもって開始されており、これはこれまでに米国が実験した核爆発装置のなかで最大に強力なもので、計画策定者らが予測した爆発力上限の2倍近くになるTNT15メガトンに相当する爆発エネルギーを放出した。キャッスル・ブラヴォー爆発の威力は、ヒロシマ原爆1000発分に相等した。

キャッスル・ブラヴォー実験のビデオ映像は、午前の時間帯に夕焼けの赤に染まる水平線から湧きあがる白いきのこ雲、そして地を揺るがす爆発の衝撃波でたわむ椰子の木々を捉えており、冷戦時代の世界の文化に刻まれた記憶の象徴的な部分になっている。ネヴィル・シュートの1957年小説作品『渚にて』は、オーストラリアのメルボルンに住んでいて、海を渡って漂ってくる放射能の拡散による近い将来の死を待つ登場人物たちを中心に描いており、このような事象に着想を得たと信じられている。

キャッスル・ブラヴォー爆発実験の朝、マーシャル諸島の近海でマグロ漁をしていた第五福竜丸の乗組員たちは、米国が太平洋で実施した核実験の最も有名な犠牲者である。

乗組員たちは核実験の余波として、放射線疾患症状と重度のやけどを患い、同船の無線長、久保山愛吉さんが被曝の後遺症で死亡したと伝えられている。

今回の提訴は、第五福竜丸の乗組員ではなく、爆発時に放射線爆心からさらに遠い海域にいた漁師たちを代弁するものである。

【クレジット】

ABC News, “Fishermen Sue Japan for Hiding Records of Fallout From US Nuclear Tests,” by Michael Edison Hayden, posted on May 11, 2016 on;

【国内メディア関連記事】

NHK-2016/05/09
…訴えなどによりますと、当時、周辺の海域には、およそ1000隻の船が操業していましたが、周辺の海域にいた元乗組員については、第五福竜丸の乗組員の被爆が明らかになったあとも国が放射線量の検査を行わなかったなどとしています。

朝日新聞-2016/05/08
…原告の内訳は元船員が23人、遺族が20人、支援者が2人。訴状で、日米間の政治的幕引き前の調査によって延べ556隻の被曝状況が把握されていたにもかかわらず、国は2014年に市民団体側に開示するまで明らかにしてこなかったと指摘。そのうえで「故意に資料が隠された。健康問題が放置された元船員らの精神的な打撃と怒りは筆舌に尽くしがたい」などと主張している。


しんぶん赤旗-2016/05/09
…提訴後に原告らが高知県庁内で記者会見。梶原守光弁護士は「政府はわずかな見舞金でけりをつけたアメリカとの政治決着を優先させ、被災者救済どころか、その調査さえ打ち切った。一国の政府として許すことのできないひどい仕打ちだ。人道的犯罪、国家的犯罪だ。その政府の責任を明らかにしないうちにビキニ事件は終わらない。80代も多く、政府はもう責任逃れをしないでほしい」と訴訟の意義を語りました。


日テレNEWS24-2016/05/09
…訴えによると、1954年、アメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験を巡って、当時の政府は事前に知っていたにもかかわらず漁船への周知を行わず、さらに、被ばくに関する調査結果を長年、意図的に隠し続けた結果、元乗組員などは時効によりアメリカへの賠償請求権を失ったとして、元乗組員1人あたりに200万円の慰謝料の支払いを求めている。


毎日新聞【社説】-2016/05/09
被ばくが確認された場合の補償責任は本来米国が負うべきである。だが、政府同士で決着した以上、自国民に対する追跡調査や生活支援などは日本政府が引き受けなければならないはずだ。それなのに、国は第五福竜丸以外の被害に対して何の措置も講じていない……問われるべきは、米国との政治決着を優先させ、不作為を重ねてきた政府の責任である。資料が長期間、不開示だった理由も明らかにされなければならない。


産経ニュース-2016/05/08
…原告は主に高知県の漁船の元船員とその遺族らで、高知、神奈川、兵庫の各県在住。訴訟では、国が事前に実験について知っていたのに漁船に周知しなかったと主張。さらに被曝に関する調査結果を意図的に隠し、実験から60年もたった後に開示した結果、元船員らは米国への賠償請求権などを時効で失い、精神的打撃を被ったと訴える。また米側の見舞金で政治決着して以降、一切の追加調査や補償を放置してきた国の不作為についても追及する。

北海道新聞【社説】-2016/05/10
…忘れてはならないのは、情報公開は民主主義を支える基本であるということだ……なのに国は、情報とは国の都合に合わせて管理するものと考え違いをしてはいないか。知る権利を制限する特定秘密保護法にも、こうした姿勢が透けて見える。