2012年4月22日日曜日

「あとからくる者のために」~中嶌哲演師、断食前後の声明


YouTube: 中嶌哲演氏スピーチ(2012.3.25大飯原発再稼動に反対する緊急集会)


2012年3月25日(日)  福井市中央公園(県庁横)―――――――――――

大飯原発3・4号機「再稼働に慎重な判断を求める市民集会
―原発の再稼働は本当に必要なのか―
「あとからくる者のために」

――――――――――――――――(原子力発電に反対する福井県民会議)中嶌哲演

l         福井県内、関西をはじめ全国各地から、はかりしれない憂慮と切ない願いをこめて、ここにお集まりいただいたみなさん、本当にごくろうさまです。ありがとうございます。
l         大飯原発4基から10 キロ圏内の住民分布で70%を占めているのは小浜市民、いわゆる「地元」のおおい町民は20%に過ぎません。その「実質上の地元」の小浜市民は小浜原発の誘致を有権者過半数の署名などで拒否してきただけでなく、大飯1・2号の建設、3・4号増設にも反対してきました。小浜市(民)が「隣接自治体(住民)」として、関西電力や原子力行政によって不当に排除されなかったら、大飯原発は小浜原発同様にこの世に存在し得なかったでしょう。したがって、その再稼働も、今日の市民集会も不要であったわけです。
l         昨年の「福島原発震災」以来、この「地元」の概念が厳しく問い直されています。福島原発10基の地元が浜通りに、若狭の原発15基が敦賀や美浜などに、けっして限られていたのではありません。また新たに拡大された30キロ圏内にもとどまりません。もともと、福島原発の「真の地元」は関東首都圏にあったのであり、若狭原発のそれは関西大都市圏にあり続けてきたのではないでしょうか。いわゆる「安全神話」も昨年3月に崩壊したのではなく、福島や若狭に最初の1基が押し付けられた時、すでに原理的にも現実的にも自らを否定していたのではないでしょうか。
l         しかし、若狭の原発に消費電力の50%以上も依存しているという関西2府4県のみなさん、いま15基の原発が全面停止していますが、停電や不都合が生じているでしょうか。わたしたちはなにか魔法にかけられていたのではないでしょうか。その魔法使いたちは、「原発なしでは電力不足」という呪文の黒白がおっつけ判明することを恐れているのです。たとえば、大飯3号が1基稼働するだけで、ひかえめの算術計算でも、5億円/日、150億円/月、1800億円/年、関西電力は電気料金を手にすることができます。
 なぜ、かくまで拙速に、執拗に、「原子カムラ」の魔法使いたちが「再稼働」を策動しているのかを、わたしたちは見極める必要がありましょう。
l         問題は、いわゆる「原発現地」です。かつて多くのアヘン患者を生み出したアジアの植民地と同じように、現代の「宗主国」の魔法使いたちは、「国内植民地」の中に少なくない麻薬患者をつくり出し、いまやその末期患者は禁断症状を呈し、さまざまなモラルハザードに陥り、子孫たちへの責任を放棄しているかのような現状です。「原発止まれば、雇用や地元経済はどうなる」という問いかけを、かならずしも強迫観念に過ぎないと切り捨てるわけにはいきません。地元の更生と自助努力もさることながら、この半世紀近く、「国策」として原発を推進してきた当事者とその受益者も、共にその解決方法に力を尽くしてもらう責任があるのではないでしょうか。
l         福井県の西川知事は、福島原発事故後、次のように語っていました。「県民の安全確保と電力供給は、別の話だ。本当に供給が大変なら、天然ガスヘの切り替えなど、事業者が検討したらいい。県民の安全の確保が一番だ。大阪の人にとっても安全は大事でしょう。福島のようになったら、電気が送れなくなるのだから。我々も関西も安全が第一のはずだ」(2011.5/21「朝日」より)と。不当・拙速な国の圧力にも屈していないこの西川知事と、地元の切実な要請を受けながら葛藤しているすべての福井県議会議員に、「再稼働」についてはあくまで慎重に判断するよう激励、支援してください。そして、破局的な原発震災の後に「脱原発」を決断した福島県の経験に深くまなび、福井県においては平和裡に「原発依存からの脱却」を準備するよう訴えましょう。すでに全うな声を上げはじめた隣接自治体、県下の市議会議長たち、広範な県民が結集している大小の集会と運動など、知事と議員を支える世論は大きく広がっています。
l         大飯原発3・4号機の「再稼働」が一点突破されれば、各地の原発群がなしくずしに再稼働され、延命がはかられていくでしょう。近未来に国内の原発が全面停止するのは、「第二のフクシマ」が続発する時であることは容易に想像できます。かつて「国策」として戦争を推進した軍国主義政権は、ヒロシマについでナガサキの過酷な犠牲の後に敗戦を決断せざるを得なかったのでした。巨大な「原子カムラ」の一角を担う現政権も、「フクシマ」だけではまだ懲りていないのでしょうか。わたしたち国民も、あの「1億総懺悔」の日を座して待つのでしょうか。「若狭原発震災の前夜」(石橋克彦氏)や「第二のフクシマ、日本滅亡」(広瀬隆氏)という警鐘が鳴り響いています。わたしたちは断じて大飯3・4号機の「再稼働」を認めることはできません。
l         現在、国会など三つの福島原発事故調査委員会と、今後のエネルギー・原発政策の根幹に関わる議論を行っている国レベルの三つの協議体が、それぞれ今夏までを目途に結論を出そうとしています。「原発の再稼働は本当に必要なのか」という本集会のサブ・テーマを深める意味でも、国民的な規模で集中して、この論議に関与していくべきではないでしょうか。
l         さて、みなさん。
 今日から3月31日まで、私は断食に入ります。この数日、食を少しずつ減量し、今朝は玄米の薄い重湯を頂きました。昼の間は県庁のロビーで静かに座し、夜間は県庁近くに開設しているグリーンピースの事務所で休養させてもらいます。
 この40余年間、好むと好まざるとにかかわらず、若狭の原発群との共存・容認を余儀なくざれている間に、私自身に生じた歪んだ骨格を正し、贅肉を削ぎ、濁った血液を浄化し、乱れがちの呼吸を整えるためでもあります。「少欲知足」の精神をいささかなりとも体感したいのです。
 そして何よりも、かの東北の大地震・大津波・福島原発震災で犠牲になり、被災されたすべての人々、生きとし生けるものに想いを寄せつつ、若狭に、また何処にも、大人災の「原発震災」を連発させないよう祈念し、先に述べた要望と行動の広がりを訴えたいと願っています。
 広島原爆120万発分の「死の灰」、48万人もの被曝労働者(新たなヒバクシャ)、原発震災の最大の災害弱者たる福島の36万人もの子どもたち-をすでに生み出してしまった国内54基の原発。
 子どもたち、若者たちに心から詫び、許しをこいながら、切なる希望をも伝えたいのです。このまま若狭の全原発を止め続けられたら、お金や形に代えられない深い安心と安全をとりもどせるだろう、美しい若狭の海と浜辺と豊かな海の幸を再生できるだろう、穏やかで奥深い若狭の歴史と文化を再発見しよう、と。
 最後に、これまでも小浜市民の会や福井県民会議のビラの中で、また各地で度々紹介してきた一篇の詩を読み上げて、私の挨拶といたします。
あとからくる者のために         
(坂村真民 『詩集・詩国』より)

あとからくる者のために
苦労するのだ
我慢するのだ
田を耕し
種を用意しておくのだ
あとからくる者のために
しんみんよお前は
詩を書いておくのだ
あとからくる者のために
山を川を海を
きれいにしておくのだ
ああ後からくる者のために
みんなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みな夫々自分でできる何かをしてゆくのだ

2012年4月1日
 7日間の断食を終えるにあたって
 大飯原発3・4号機「再稼働」反対のさらなる世論の広がりを!
中烏 哲演

l         3月25日の昼食から31日の夕食までの断食を終え、4月1日の今朝、玄米の薄い重湯を噛み締めるようにして美味しく頂きました。厳密には2週間をかけてですが、徐々に日常食に、できれば今度こそ念願であったベジタリアンのそれに復帰したいと願っておりまず。
l         この7日間にわたって、個々のお名前やグループ・団体名などを列挙し得ませんが、様々な分野の多くの方々から、あたたかいご配慮、励ましやご支援をいただき、心から感謝いたします。また、ささやかな私の断食行為が正触媒となって、なんらかの結晶作用が県内外に広がることを期待してもいたのですが、明らかにそのきざしもあり喜んでおります。 
l         このたびは県庁ロビーで意思表示いたしました。国の理不尽で拙速な「再稼働」の動きに福井県知事や県議会議員が屈することなく、県外の住民もふく心県民のいのちを守るよう、エールをおくるためでした。県庁や県議会の建物・施設がけっして県職員幹部や議員の占有物ではなく、県民が自由に出入りでき、県民の生命死守や福祉に奉仕するために活用されるべきことを改めてまなんだように思います。
l         大飯3・4号の「再稼働」は、若狭、福井県の問題にとどまりません。いったん「再稼働」を許せば、政府をはじめ「原子カムラ」の勢力は他の原発群も再開、延命をはかり、「第二のフクシマ」の惨状を招くまで全面停止することはないでしょう。かつての軍事政権がヒロシマに次ぐナガサキの悲劇に直面するまで、そうであったように。
l         「安全神話」が押し付けられてきた現地住民、「必要神話」の魔法にかけられてきた大都市圈の市民も共々に、大飯原発3・4号機「再稼働」反対の声と行動をさらに広げて、「あとからくる者のため」に、原発存続そのものの是非を、この夏へ向けて集中的に、国民的な規模で論議できるよう心から念願し、訴えるものです。
合 掌
(注:本稿テキストの掲載は、著作権者の中嶌哲演さんにより許諾ずみ)


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