2017年12月31日日曜日

ニューヨーク・タイムズ紙【スポーツ】#フクシマ☢惨事:福島で野球しますか?


フクシマで野球しますか
セス・バークマン SETH BERKMAN 20171229

福島市・松川運動公園の野球場で11月、プレイする子どもたち。福島県の一部地域――特に県庁所在地、福島市――は、スポーツを通して地名のイメージを変えようとしている。Credit: Seth Berkman for The New York Times

【福島発】JR福島駅はあちこち大量の色鮮やかなバナーや広告で飾りたてられて、近く開催されるロードレースと地元サッカー・クラブ「福島ユナイテッド」を祝していた。

この街には、野球とバスケットボールの両競技で新たに結成されたプロリーグ加盟チームもあった。両チームとも、ホープスとかファイアーボンズとかいった心躍るチーム名を掲げており、その後者とは、21歳のポイントガード*、猪狩渉〔いがりわたる〕によれば、地域社会の絆につながるチームの精神を表現した名称である。
21歳のポイントガード、
*[訳注]Wikipediaポイントガード】「ポイント」とは得点ではなく線路の分岐器 (ポイント) を意味し、チームの司令塔の役割を担う。


スポーツ熱が盛りあがっている土地にとって、願ってもない恩典が3月に舞いこみ、東京2020年オリンピック大会開催のおり、福島市で野球とソフトボールの両競技を実施することを国際オリンピック委員会が承認した。

それでもなお、福島は悲劇の地のままである。

2011年の東北地震と津波が福島第一原子力発電所のメルトダウンと放射能漏れを引き起こした。コネティカット州ほどの広さの福島県土の隅々まで荒廃が忍び寄った。200万人近くの県人口のうち、発電所近くに居住していた160,000人あまりが逃散したり、避難したりし、推定16,000人が死亡した。

惨事は福島の名折れにもなった。観光が低迷した。日本国内の他の地域では、福島産の製品や原材料が敬遠された。

7年近くたって、県――主として県名と同じ名の県庁所在都市――の財界は、スポーツを通してイメージを変えようと企てている。

自動販売機の側面に新結成の野球チームの広告。
Credit: Seth Berkman for The New York Time


福島生まれで、いまはスポーツ用品店「スポーツランド」のオーナー、サイトウ・ノブユキは、次のようにいった――

「わたしたちはチェルノブイリと同じように見られています。変えるのはむつかしいです」

岩村明憲〔あきのり〕は、福島の地名の誉れ回復を願うひとりである。

岩村は、2008年ワールドシリーズでタンパベイ・レイズの二塁手として先発で出場した。彼はまた、2度にわたりワールド・ベースボール・クラシックの日本チームとして優勝を果たし、13年間、日本野球機構のプロ野球選手としてプレイした経歴もある。

現在、38歳になった岩村は野球機構の最底辺で頑張っている。彼は、出場してもほとんど観客が来ないセミプロ野球チーム「福島ホープス」の代表だ。岩村は、チームの競技レベルを米国のプロ野球ダブルA[マイナー・リーグの中級レベル]と同程度と評した。

「わたしは伝道者を自認しています。たとえ多くの人たちが否定的な形で福島の名を知っているとしても、それを肯定的な形に変えなければなりません」と、岩村は述べた。

地震と津波が襲ったとき、岩村は楽天ゴールデン・イーグルス選手として出場する準備をしていた。岩村は南日本の愛媛県の出身だが、引退後に福島の再建に助力することが彼の「天命」になった思いがしたと述べた。岩波は、彼を励ました人たちのひとりが、シカゴ・カブスのジョー・マドン監督であり、レイズ時代に彼のコーチを務めていたと語った。

ホープスの本拠地、福島県営あづま球場が2020年オリンピック大会の競技場になるとき、岩村は地域のイメージ向上を担うべく檜舞台に立つかもしれない。岩村はそれを、惨事を超えた行き方について世界に情報発信する今ひとつの機会と見ている。

11月の福島県営あづま球場。2020年オリンピック大会、野球・ソフトボール競技の一部がこの野球場で開催される。
Credit: Kyodo News, via Getty Images


岩本はいう――

「みなさんが国に帰ったら、それぞれの国の人たちに印象を伝えていただけるでしょうし、そうなれば、もっと多くの人たちが観光に来てくれるでしょう」

球場は県都に所在し、東京から新幹線で約90分、福島第一原発から約90キロ西に位置している。福島市は原発および海岸部に近接した町村ほどには大きな被害を受けておらず、このことが、オリンピックのせいで被害がもっと深刻だった地域の状態が無視されると信じている批判論者たちを懸念させている。

福島が野球競技の開催地になると3月に発表されると、ただちに反核活動家たちはこの動きを糾弾した。彼らは、これによって福島が正常に戻ったという舌先三寸がまかり通るようになり、いまだに自宅に戻れない――あるいは、永久に帰宅できない――推定120,000人の住民が向き合っている未完の苦境を言いつくろって隠すことになったと主張した。

東京に所在する「原子力情報室の事務局長、松久保肇〔はじめ〕は、「日本政府は福島のイカサマな側面を見せたがっています」といった。執務室で松久保は、日刊紙スポーツ面の戦績データ表にも似た、福島県内・全市町村の放射線レベル一覧表を掲載した福島民報紙のコピーを見せてくれた。

市民たちが放射線レベルのような環境データを独自に測定するのを助けている団体、セーフキャスト(Safecast)で活動しているアズビー・ブラウンは、オリンピック観戦客が野球場の近くで1週間滞在しても、正常より高いレベルの放射線で被曝することはないだろうと語った。それでも彼は、福島に関する政府の情報発信に同意できなかった。ブラウンは、Eメールで次のように認めた――

「地域社会は破壊され、真実の説明責任は果たされず、環境汚染は数十年にわたり根強く残り、その全期間を通して警戒と入念なモニタリングが必要になるでしょう。放射線測定結果を受け入れ、帰還するという合理的な決定を人びとは、それでも、まるで幽霊屋敷に住んでいるかのように、頭から離れることのない不安と疑心を胸に抱きながら暮らすことになります」

20113月の福島第一原子力発電所・第3核反応炉。メルトダウンと放射能漏出を引き起こした東北地震・津波は、地域を永久に変えてしまった。Credit: Digital Globe, via Reuters

20139月、日本が2020年オリンピック大会開催権を勝ち取ったとき、安倍晋三首相はフクシマの「状況はアンダー・コントロール」状態にあると国際オリンピック委員会に保証した。

その4年後になってブラウンは、ゼネコン各社が東京周辺のオリンピック関連事業の受注確保に躍起になっているので、壊滅的な被災地の公共基盤構造再建事業が遅れていると述べた。

福島県の内堀雅雄知事は、県土は再建の目覚ましい前進を見せておりますと言い張った。内堀は、県民の誇りとして、地域における観光地の絶え間ない再開とスポーツ熱の盛りあがりの影響を挙げた。

内堀は、汚染地域の再建と人口減少を見過ごすわけにはいかないと付言し、これら二項対立的な側面は福島の「光と影」であるといった。彼は、福島でオリンピック競技を開催することについて、次のように述べた――

「現時点で、わたしには否定的な視点がなんら見当たりません。ですが、福島で競技会を開催してよかったとみなさまに思っていただけるように、わたしは組織委員会および政府と協力したいと思います」

内堀は、福島の状態にまつわる「風評」が県土を覆う影に寄与していると言いそえた。

福島県楢葉町のような場所では学校が再開されたが、近くの他の町は無人のままである。Credit Tomohiro Ohsumi for The New York Times

原発の浄化解体作業に40年に達する歳月と22兆円あまりの経費がかかると見積もられ、福島県の広大な地帯が無人のままである。

それでも、一部の住民はオリンピック競技の開催に希望を見ている。

夏にヒューストンでインターン生活を体験し、ヒューストン・アストロズのワールドシリーズ制覇がハリケーン被災都市の市民モラルに与えた影響を目のあたりにした福島大学の学生、ワタナベ・アヤは、次のようにいった――

「いま福島でオリンピックをやらなければ、これからずっと福島のイメージは変わらないでしょう。これは福島の未来を変える非常に大きなチャンスです」

ホープスやフィアーボンズといったチームはまだかなり新しいが、スポーツが福島の復興にどのように役立つことができるか、選手たちは既に見ている。

ディオン・ジョーンズはモンマス大学で大学バスケットボール試合に出場し、ファイアーボンズに入って1年目である。彼の母親は当初、彼が福島に住むことに心配していたが、その彼はその地で楽しんでプレイし、ポイントガードの猪狩や、近隣の街、二本松市出身の菅野翔太といった地元のチームメイトの経歴や苦労に学んでいる。選手たちは週に数回、地元の学校で競技を指導している。チームの広報担当女性は、ファイアーボンズのホームゲームは2,000人程度のファンを集めるという。ジョーンズは、こういう――

「バスケットボールを少しばかり超えたもののために、プレイしているのです。福島のみなさんのために、試合しているのです」

そしてお次は、日本の国民的スポーツ、野球の出番である。東京が2020年オリンピックを勝ち取ったあと、歴史的観点からいっても、日本の若者たちの野球人気からいっても、オリンピック大会に野球競技を特別に再導入すべきだとして、強力な運動が繰り広げられた。2011年の津波のおかげで、競技開催のチャンスが福島に舞いこんだ。福島県高等学校野球連盟の小針淳理事長は、過去6年間にわたる高校野球部員の登録数の減少傾向を見守ってきた。小針は、こういう――

「これは間違いなく原発事故のせいです」

浪江町にて20162月、避難区域内の放棄された家屋。今年はじめ、原発からほんの4キロに位置する浪江町の住民の一部は帰還を許された。しかし、元住民21,434人の大多数は、帰還どころか、自宅の解体を要請された。Credit: Christopher Furlong/Getty Images

息子のリョウタが福島商業高等学校の野球部員であるクリカマ・ミワコは、津波に襲われて、避難した。リョウタの小学校は恒久的に閉鎖された。時にクリカマは、息子が練習できるグラウンドを探すためだけで90分の道のりをドライブした。

クリカマは最近の日曜日の朝、福島市の信夫ヶ丘球場で高校のチームメイトと練習試合をしている息子を見守っていた。彼女は他に6人の母親たちと一緒にホームベースの背後に座っていた。母親たちはスナック菓子を分け合い、黒板にスコアを付け、挟殺プレイやタイムリー安打を見ては、声を合わせて笑い、応援していた。

クリカマは、何人かの選手を、息子の学校が閉鎖される前、小学1年生のときから知っていた。こうして再び一緒になると、憂さが晴れ、親しみのある交流を楽しめた。

近くの野球場では、2年半もすればオリンピック選手たちが歩き回るのと同じあづま総合運動公園のフィールドで、福島市リトルリーグの選手たちが試合をしていた。松川運動公園球場では、子どもたちのトーナメントが、日本のプロ野球にも似た大音量メガフォンのサウンドトラックで応援されていた。これほど正常であっても、一部の住民にとって、こうした光景は2011年惨事の亡霊を思わせるかもしれない。

あづま公園内のフェンスで囲いこまれた区域では、除染廃棄物詰めの巨大な黒色バッグが数百袋も目の高さ以上に山積みに保管され、まだ適切に処分されていない。福島市は環境省に対し、オリンピック前に除染廃棄物袋を除去するように働きかけているが、目下のところ、要望に反して、野球場をもうひとつ造成できるほど広い区域が廃品置き場同然になっている。

福島市の周辺の野球場で、子どもたちが一塁ベースラインを駆けたり、右翼フライを追いかけたりしているが、その日の放射線レベル――スコアボードの点数よりも深刻な意味をもったデータ記録――を告げる不吉な表示のそばを通ったりもする。

スポーツは福島県民の一部の癒やしに役立っていても、未来についての疑念全部を消し去ってはいない――そして、おそらくスポーツにそのような期待をかけるべきではないのだろう。

11歳の息子、ケイゴが子どものトーナメント試合で投手として活躍するのを見守っていたカクダテ・ミチアキは、次のようにいった――

「政府はわたしたちに科学的証拠にもとづく実際の情報を伝える必要があります。政府はノー・プロブレムといいますが、人びとが納得できるわけではありません」

【クレジット】

The New York Times, “Would You Play Ball at Fukushima?” by SETH BERKMAN, posted on DEC. 29, 2017 at;

A version of this article appears in print on December 30, 2017, on Page D1 of the New York edition with the headline: In Shadow of a Nuclear Disaster, Fukushima Responds With ‘Play Ball’.


2017年12月30日土曜日

#英紙ガーディアン【柏崎刈羽】世界最大の原発を再稼働する東電の計画:#フクシマ☢惨事再現の恐れ



フクシマ核惨事再現の恐れ

巨大な柏崎刈羽原子力発電所の反応炉の現役復帰が承認されたが、日本国民は活断層の存在と企業の不始末を危惧している

施設内の模擬中央制御室の機器をチェックする東京電力職員。撮影:ガーディアン紙、ジャスティン・マッカリー

ジャスティン・マッカリー【柏崎発】
Justin McCurry in Kashiwazaki
20171228

ただひとつの構築施設が地域社会の性格を決めかねないとすれば、それは柏崎市とその隣接自治体、刈羽村の住民、計90,000人にとって、40年以上にわたり海岸景観を圧倒してきた姿で大きく広がった原子力発電所である。

柏崎刈羽原発は反応炉7基がすべて稼働していれば、820万キロワットの電力――1600万世帯分の供給量――を生産する。同原発は日本海沿岸地帯に敷地4.2平方キロを占めており、世界最大の原子力発電所である。

だが、目下のところ、柏崎刈羽原発の反応炉は稼働していない。東京から北西225キロ、新潟県の同原発は、20113月、福島第一原発の反応炉3基メルトダウン後の全国的な原発停止において、核産業のなかで最も注目を集める槍玉だった。

最悪事態の渦中にある企業は、破局的事態を防げなかった失策、何万人もの避難住民に対する同社の処遇、原発事故現場の混乱状態を収束するさいの同社の場当たり的な対応策のせいで、怒りを招くことになった。

そのようなありさまの企業、東京電力が目下、3か所ある同社の原発のうちのひとつ、柏崎刈羽原発の反応炉2基の再稼働を推進して、フクシマの悪魔祓いを図っている。福島第一原発を解体するための資金を賄うための利益を得て、メルトダウン事故後に失った社会の信頼を回復するためには、それが唯一の方法だと同社はいう。

日本の原子力規制委員会は今週、東京電力に対し、柏崎刈羽原発6、7号炉――メルトダウン事故を起こした福島第一原発反応炉と同じ沸騰水型軽水炉――の再稼働を公的に認可した。

原子力規制委員会は1か月のパブリックヒアリング期間をへて、東京電力が原子力発電所の操業に適格であると結論づけ、2011年の原発事故後に導入された、より厳格な安全基準に反応炉2基が適合していると述べた。

東京電力は原子力委員会決定の直前、ガーディアン紙に対し、同社が世界で最も安全な原子力発電所になると自慢する施設の独占取材に招待した。

柏崎刈羽原発はいま、日本の北東沿岸部に広範な破壊をもたらした三重災害の当日と同じように、稼働中の原子力発電所の趣である。フクシマ後の安全基準に適合するため、推定6800億円かかった改修の背後に、1,000人強の東電職員および5,000ないし6,000人の下請け労働者がマンパワーを供していた。

日本海を遠景に望む柏崎刈羽原子力発電所。撮影:ガーディアン紙、ジャスティン・マッカリー

彼らは高さ15メートルの防波堤を建造し、東京電力によれば、それは最大の津波に対抗できるという。メルトダウン事象に際して、特別排気装置が大気中に放出される放射性粒子の99.9%を捕捉し、溶融物遮蔽装置が溶融燃料の反応炉格納容器貫通を防ぐ。自己触媒反応再結合器が設置され、福島第一原発の反応炉4基を揺さぶった水素爆発の再現を防ぐ。

この大きく広がる複合施設の別の場所に、大群の緊急車両、放水車、予備発電機が配置され、丘の上の溜池に20,000トンの水が蓄えられて、破局的なメルトダウン事象となれば、反応炉冷却用に汲みあげられる。

柏崎刈羽原子力発電所の設楽親(したら・ちかし)所長は、次のように述べた――

「わたしどもはフクシマ事故に責任を負う事業者として、教訓を肝に銘じ、なにが悪かったか再検討し、ここ柏崎刈羽で学んだことを実行に移すことに専心しております。わたしどもは休むことなく安全性を向上させる方法を考えています。

「わたしどもにはフクシマの経験がありますので、同じ過ちを繰り返さない――安全体制をさらに強化する――ことに尽力しております。これこそ、わたしどもが社会のみなさまにご説明しなければならないことです」

「ここは原子力発電所の適地ではありません」

だが、社会のみなさまは得心しているどころではない。新潟県民は昨年の知事選挙で反原発候補の米山隆一を選出し、電力会社の計画に反対を表した。出口調査によれば、投票者の73%が原発再稼働に反対であり、賛成はたかだか27%だった。

米山は2016年春に予定されている再稼働に関して、新たに設置された委員会がフクシマ核惨事の原因および影響を究明する報告を完成するまで――少なくとも3年はかかると思われる手続きが完了するまで――決定を差し控えると明言した。

多くの住民にとって、原発の位置のせいで、不相応に費用がかかる安全性向上策が必要になると思われる。元村議会議員で生涯にわたる反原発活動家、武本和幸は、「地質学的にいって、ここは原子力発電所の適地ではありません」という。

武本は、同地域の地下に存在する石油・ガス層を原因とする不安定性、それに東京電力の防波堤が建っている地表が大地震の勃発時に液状化しやすいことを示す証拠に言及する。

地元の反対派は、柏崎刈羽原発30キロ圏内の住民420,000人を避難させる企てが招きかねない混乱を指摘してきた。武本は、次のように付言した――

「これはフクシマ近辺の住民よりも大人数であり、おまけに当地は大変な豪雪地でもあり、全員を避難させるのは不可能になるでしょう。状況はフクシマより遥かに過酷なものになるでしょう」

こうした懸念事項に加えて、2007年に勃発したマグニチュード6.6の沖合地震のさい、小規模な被害ですんだ原発を支えた敷地の内外に走る地震断層の存在がある。2本の活断層――原子力規制委員会が過去400,000年のあいだに動いたと定義するもの――が1号炉の下を横断している。

だが、東京電力にとって、柏崎刈羽原発の反応炉2基を再稼働すれば、年間利益2000億円が見込まれ、原子力発電の再開は財務的必要性の問題だった

新潟県、柏崎刈羽原子力発電所の作業員ら。撮影:ガーディアン紙、ジャスティン・マッカリー

福島第一原発を解体し、近隣地域を除染し、メルトダウン事故で被災した住民に賠償する経費は、政府見の試算によれば、215000億円に達しかねない。この金額が、原発の運転停止で開いた穴を埋め合わせるために、高価な化石燃料を輸入する費用に上乗せされるのだ。

日本経済研究センターJCER)は今年はじめ、40年にわたるフクシマ浄化作業の――損壊反応炉3基の放射性廃棄物を処理するぶんを含めた――経費総額は50ないし70兆円の巨額に膨れあがるかもしれないと発表した。

設楽所長は、こういう――

「東京電力社長およびわたしどもの総合事業計画が明らかにしておりますが、当発電所の反応炉を再稼働することが、弊社にとって非常に重要なのです」

おまけに、エネルギー政策の中核に野心的な原子力発電の再開を据えている日本国総理大臣、安倍晋三にとって、賭けられているものは大きい。安倍政権は、2030年時点で原子力発電が日本の電力量の20%を担うこと――反応炉30基の再稼働が必要になる戦略――を望んでいる。

国内に48基ある運転可能な反応炉のうち、現在、4基だけが稼働している。他にも、フクシマ事故後に新たに導入された最も厳格な安全性試験に合格した反応炉は数基あるが、再稼働は地元住民の強力な反対に直面している。

再稼働に向けた手続きの一環として、柏崎刈羽原発の再稼働および原発運営者としての東京電力の適格性に関して、日本全国の人びとが先日、意見を表明する機会を与えられた。

柏崎刈羽原子力発電所・広報部の石川キヨトは、東京電力がフクシマ事故から教訓を学んだと主張し、次のように述べた――

3-11以前の弊社は思い上がり、安全性の向上を疎かにしました。地震が目覚まし時計になりました。弊社はいま、安全性の向上は絶え間なく継続するプロセスであると承知しております」

刈羽村の近藤ゆきこは東電の約束をバッサリ切り捨て、原発が恒久的に操業できない場合、国の支給金が打ち切られるとしても、それは、地元住民が心の平安を得ることができるなら、その代償にすぎないと述べ、次のようにいった――

「東京電力は2011年の事故を起こしましたので、この村で核反応炉を再稼働することに賛成するわけが、わたしにはありません。東京電力は福島第一原発が安全であるとわたしたちに言いつづけていました――そして、なにが起きたか、このザマです」

Topics; Japan

【クレジット】

The Guardian, “Fears of another Fukushima as Tepco plans to restart world's biggest nuclear plant,” by Justin McCurry, posted on December 28, 2017 at;

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2017115日日曜日
園田ミツコは、避難民が経済的苦境に直面しており、危険であると信じているのに、帰宅を強いられていると証言する
核惨事の前、強制避難区域の外だった村で稲刈りをする園田ミツコの叔母。Photograph: Mitsuko Sonoda

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