2016年9月17日土曜日

『#救援』第569号9月10日付け【#郡山通信】「自由と民主主義」を標榜する国で…


国家権力による弾圧に対しては、 犠牲者の思想的信条、 政治的見解の如何を問わず、 これを救援する。


郡山通信

「自由と民主主義」を標榜する国で

目に見える戒厳令状況

八月二一日付け沖縄タイムス記事「記者も拘束、高江取材中」によれば、二〇日午前一〇時半頃、米国海兵隊ヘリパッド建設をめぐって抗議行動グループと警官隊が対峙する沖縄県東村高江の現場で、同紙と琉球新報の記者、合わせて二名が一時拘束され、取材を妨害されたという。
翌二一日未明、東京・霞が関、経産省前に設営されていた脱原発テントが強制執行によって撤去された。日曜日の午前三時四〇分ごろから五時にかけて、大勢の警備員に加えて、警官隊が一帯を封鎖し、警視庁記者クラブ加盟メディアだけが取材の便宜を図られていたという。その後、フリーのカメラマンが何の根拠も示されず丸の内署に拘引されたそうだ。霞が関の中心部で「脱原発」の旗印を高く掲げ、国際的にも注目されていたテントである。リオ五輪報道たけなわといっても、日中の正常な時間に執行されていれば、外国特派員協会加盟ジャーナリストたちも駆けつけたはずである。


出処:アルファルファモザイク

目に見えない戒厳令状況

当地・福島県では沖縄や霞が関で見るような、露骨な報道や言論・表現の弾圧は目にしない。ところが、八月二四日付け福島民報「独で『福島』発信、高校生が交流活動の報告会」という記事がネットで目に止まった。NPO法人主催「福島・ドイツ高校生交流プロジェクト」でドイツを訪問した県内の高校生ら八人が二三日、福島市で活動報告会を開いたとのことである。

出処:福島民報オンライン記事スキャン

記事によれば、「本県の現状を発信するとともに、再生可能エネルギー先進地の取り組みを学んだ」とのこと。また、参加した女子高校生は、「参加前は人前で話すのが苦手だった。活動を支援してくれた企業に感謝したい」と話していたという。

その他、主催団体の名称、参加者八名の氏名と所属高等学校名、学年の紹介だけで、情報はスカスカ。フクシマ核惨事後に逸早く脱原発を決断したドイツで、なにを見て感じ、どのように「福島」を発信し、どのように受け止められたのか、さっぱり伝えていない。ただ「再生可能エネルギー先進地」政策という福島県の旗印だけは鮮明に反映されている報道内容だ。

ところが、ドイツを訪問した八人の高校生たちは同じ二三日、東京都豊島区でも報告会を開いており、それを東京新聞が「手を挙げ原発反対を」と勇ましいことばで始まる見出しの記事で伝えていた。高校生たちの発言だけをピックアップしてみよう――

出処:東京新聞オンライン記事スキャン

福島市の高校二年男子「家の周りではまだ除染作業が続いているのに、再稼働させるのは矛盾だ…ドイツの生徒は、積極的に手を挙げて意思表示する。原発反対の思いは表現しなきゃ伝わらない」

兵庫県に移住した二年女子「放射能を気にするかどうかで、友人関係に溝ができ、両親は離婚した…日本では、放射能への意見の違いで、心の戦争が起きている」

同じ高校生たちの報告会でも、福島市と豊島区では会場の雰囲気や報告内容が多少は違っていたのかもしれないとしても、福島民報と東京新聞では報道内容の落差があまりにも大きいのではないだろうか。

ちなみにフクシマ核惨事勃発から三か月後の二〇一一年六月一一日、郡山市で「フクシマから世界の原発をとめよう!さよなら原発」デモが挙行され、朝日新聞などの全国紙は写真付きで報道したが、地元二紙、福島民報と福島民友は完全無視。デモ実行委員会の告知に対して、民報編集部は「場合によっては、取材に行きます」と電話に応えたそうだ。


可視化する意思

「原発いらない金曜日!」フリートーク集会でJR郡山駅西口ひろばに立ち、つねづね訴えていることがある――

原発いらない金曜日in郡山 via labornetTV

<被曝地戒厳令は警察力・軍事力の形では目に「見えない」。メディアの力で「見させない」。心理的にも「見たくない」。だから、意識的・自覚的に見なければならない!>

沖縄の辺野古や高江では、ヤマト本土から遠いことをいいことに、白昼堂々と警察力を行使しているのだろう。東京のど真ん中、霞が関ではそういうわけにはいかない。だから、夜が明けないうちに強制執行の実力を振るったのだろう。

福島県では、かの山下俊一教授は五〇〇〇億円の医療利権を手土産に乗りこんできたという。莫大な額の除染費用や復興予算、それにロボットなど先端技術開発構想や再生可能エネルギー開発先進地の夢…政・官・財こぞって利権に跳びつき、物言えぬ体制をたちまち築きあげたとしても不思議ではない。

(テロップ変換ミス ☓支持 → ◯指示)
出処:「山下俊一という災禍

だが、黙っているわけにはいかない。沖縄、霞が関の闘いも、フクシマの闘いも、人間としての誇りをかけ、「自由とデモクラシー」、「人権と法治」を防衛し、後に続く者たちの道を守るためなのだから。


(井上利男。「#原発いらない金曜日!」郡山フリートーク集会世話人。ブログ「#原子力発電_原爆の子」。ツイッター:@yuima21c


【更新】2016年9月20日、画像と動画を追加。

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