2015年9月6日日曜日

Mail Online【楢葉町の避難指示解除】日本政府は住民が帰還しても安全だという


日本政府、フクシマ核惨事で避難区域に指定した町に住民が帰還しても、ついに安全になったという

✔ 町の住民7,400人は4年半後に初めて帰還できる。

✔ 日本政府は楢葉町の放射線レベルがようやく安全になったという。


✔ だが、避難民の63%は帰還する意志がないか、または決めかねている。


✔ 2011年の核炉心メルトダウン事故は巨大な地震と津波がきっかけになって起こった。

ジャック・クローン JACK CRONE FOR MAILONLINE
201595

日本政府が居住禁止を解除し、福島第一原発に近い楢葉町の住民は核惨事後はじめて帰還できることになった。

町の住民7,400人は、労働者に数十人の負傷者を出した事故から4年半にわたり、帰宅を阻まれてきた。

楢葉町は、福島第一原発の三重炉心メルトダウンのきっかけになった20113月の巨大な地震と津波のあと、放射能汚染のために全域を無人化することを余儀なくされた7町村のうち、避難指示が解除された最初の例になった。

【惨事】放射能被曝による死者こそ出なかったものの、2011年のメルトダウンのあと、原発から30キロ圏内の住民300,000人が避難させられた。@AP

4年以上前に国土を荒廃させた巨大な津波につづいて、福島第一原発の反応炉6基のうち3基が爆発し、300,000人以上が避難を余儀なくされた。@DigitalGlobe

日本政府は、除染事業の結果、楢葉町の放射能レベルは安全とみなせる程度まで下がったと伝えた。

しかし、政府の調査によれば、核施設から20キロ南の楢葉町から避難した町民の53%が恒久的に帰宅するつもりがないか、または決めかねていると答えた。これまでの数年のあいだに他の土地で仕事を見つけたという人たちもいるし、放射能が不安だという人たちもいる。

チェルノブイリ以来、最悪の核惨事

フクシマ核惨事は、2011311日に勃発した福島第一原子力発電所の破損事故。

きっかけは、マグニチュード9.0の東北大地震にともなう津波。

津波の結果、施設の核反応炉6基のうち、3基がメルトダウンし、放射性物質を放出。

報告によれば、地域内の土壌と水は高レベルの放射能で汚染され、除染が困難。

福島県の東海岸[浜通り]地域から総計300,000が避難、地震と津波による[東北3県の]死亡者数は15,884人。

浄化に数十年かかり、経費は180億ポンド[3兆円]以上になると見込まれる。

ある調査パネルは、この惨事の主だった要素は「人為」的なものであり、核の安全性に対して自己満足にひたる文化があり、危機管理が貧弱だったと推論。

たいがいの楢葉町住民は、健康不安を払拭できず、社会インフラが整っていないことから帰還をためらっており、今回の動向はテストケースになる。これまで無人になっていた町で、JR路線の一部はまだ運行しておらず、線路に草が生い茂っている。一部の家屋は崩れかけており、夜になると猪がうろついている。

4月にはじまった試験的な宿泊期間中に自宅に戻ったのは、2,600近くの世帯のうち、約100世帯だけだった。昨年、政府は近くの2町村の一部に対する避難命令を解除したが、帰還した元住民は約半数にとどまっている。

楢葉町の松本幸英町長は、この動きが重要なスタートラインになると発言した。松本氏は町立こども園で開催された式典で、「わたしたちの時計の針が再び動きはじめました。避難指示の解除は重要な一歩ですが、スタートラインに過ぎません」と挨拶した。

松本氏は、楢葉町が他の被災町村にとって、町の復興の模範になれればよいと述べた。

破壊された原発の周辺にある約10市町村から避難した約100,000人の人たちが、いまだに帰還できないでいる。

政府は、汚染レベルが最も高い原発近接地域を除き、すべての避難命令を20173月までに解除したいと計画――避難民の多くが、東京オリンピック2020年夏季大会に先立って、フクシマ復興を売り物にしようとしていると批判する目論見――を立てている。



【爆発】リヒター・スケール[マグニチュード]9の地震に伴う津波が襲来し、反応炉6基のうち、3基が爆発した。@AP

【廃墟】津波に襲われた福島第一原子力発電所は重大な損害を受けた。@AP




災害前の福島第一原子力発電所4号炉の内部。
@Reuters
 松本氏は、放射能不安と核安全問題がまだ残っており、楢葉町は回復に向かって、長い道程を歩まなければならないと語った。

町には、10月まで診療所がなく、新しい県立病院が整備されるまで、来年2月まで待たなければならない。

町のスーパーマーケットが7月に無料配達サービスを開始しており、来年にはショッピング・センターがオープンする。それでも、住民の多くにとって、特に車を使わない人たちにとって、毎日の必要品の買物をする選択肢は限られている。

住民たちは、自分の放射線レベルを点検するために個人線量計を与えられている。

町はまた、住民の不安に対応するために、浄水場のモニタリングを24時間体制で実施しており、水道水の放射能検査をしている。

災害後、楢葉町の自宅から避難を余儀なくされていた53歳の主婦、ヨコタ・トシコさんは、式典に出席し、自宅を掃除するために帰ってきたそうであり、やがって夫と一緒に戻ってきたいといった。

ヨコタさんの家は、留守中にネズミや虫に荒らされ、雨漏りがしており、全面的に改修する必要があるが、それでも2、3年中に戻ってきたいと願っている。

いま福島県内の別の町に住んでいるヨコタさんは、「原発事故のせいで友だちはみな違った土地にいて、町はこれが同じ町かと思うほどの変わりようですが、それでもこれがわたしの故郷の町であり、帰ってくるとホッとします」という。

「放射線レベルや医療機関の不足など、あれやこれやで今でも不安になりますが、戻ってくるためには、希望を捨てず、元気でいなくてはなりません」と彼女はいった。


自然災害とその後の壊滅的な状況によって、16,000人近くが死亡したと伝えられている。@EPA



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【9月7日更新】

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