2014年11月30日日曜日

英紙ガーディアン【評論】世界の #核兵器 を廃絶しなければならないわけ

The Guardian


世界の核兵器を廃絶しなければならないわけ
Why we must rid the world of nuclear weapons
歴史に核のニアミス事故が散在している。イランの核保有を容認すると、世界平和とイラン国民を共に脅かすことになる。
エリック・シュローサー Eric Schlosser






The Guardian  20141127
危険なゲーム:1954年、ビキニ環礁で実施されたアメリカの核実験。Photograph: Corbis
イランを相手の核交渉について、多くのことが書かれてきた。外交が大きく注目されているが、些末事のなかに見失われていることがあまりにも多い重要な問がある――なぜ、イランは爆弾を持ってはならないのか? 筆者の意見では、答はとても簡単だ。核兵器を装備したイランは、世界平和だけでなく、イラン国民にとっても脅威になる。
核兵器が民間の標的に対して使われた最後のできごと、長崎の破壊から70年たった。冷戦は相互核攻撃なしに終結し、核テロの危険は今のところ、推測の域を出ない。1945年以来、核の破局が起こらなかったという事実は、起こらなかったので、起こらないだろうという信念を助長してくれる。あるいはいっそのこと、起こりえないのだ。影響力のあるアメリカ人学究、ケネス・ウォルツは、核兵器の拡散はいいことだ、核兵器を獲得する国が増えれば増えるほど、よくなると考えた。「平和を愛好する人たちは核兵器を大好きになるべきだ。発明されたもののなかで、決定的に使用そのものを封じこめる唯一の兵器なのだ」と彼は論じた。
核兵器は保有諸国間の交戦を思いとどまらせ、国際関係を安定させ、世界の指導者たちにもっと注意深くなるように促すというウォルツの論点に、いま賛同する学者は多い。この論議はじっさい、核兵器保有諸国の現代外交史を正確に叙述している。だが、それでも未来については、なにも明らかにしていない。これは真実だ――が、それも真実でなくなる、ある日までのこと。
核兵器を所有する国はすべて、それに内在する問題に対処しなければならない。それは今までに発明されたもののなかで最も危険な機械であり、技術と行政の両面の理由で、極めて管理が困難である。また、核兵器を管理する人間にも同じことがいえる。米国はこの技術を考案して、完成し、他の国ぐによりも多くの経験を積んできたが――それでもなお、アメリカの核兵器でアメリカの都市を破壊する偶発事故の寸前にまでなったことが夥しくある。半分近くの核保有諸国における不安定な政情が、危機の潜在的な根源になってきた。ほんの一瞬の政策決定が、一度ならず世界を核戦争の間際に追い込み、辛うじて事なきを得た。
ペンタゴンは、アメリカの核兵器関連の重大な事故は32件だけだと久しく主張してきた。だが、筆者が情報公開法によって入手した公文書には、1950年から1968年までのあいだだけで、米軍の核兵器関連の事故が千件以上もリストアップされている。事故の多くは瑣末なものだった。その他のものは、公式リスト記載の事故のいくつかよりも、本格的な核爆発にいたる可能性が高かった。
見た目には些細なことが、惨事につながりうる。B52爆撃機の機体内でビスから脱落した小さな金属ナットが新たな電子回路を形成して、それが安全スイッチを迂回路になり、4発の水素爆弾を完全発射待機状態に入らせた。ミサイル・サイロで不具合のある侵入者警報機を点検していた保守技術兵が、ドライバーで間違ったヒューズを抜き取って、ショートを起こし、ミサイルから弾頭を吹き飛ばした。B52のコックピット内で、うかつにも排熱通気口の近くに収納されていた4枚のゴム製シート・クッションが発火して、それが機体に燃え移り、乗員たちを真夜中の脱出を余儀なくさせ、米軍指折りの重要極秘軍事施設で水爆を爆発させかねなかった。
他の核保有諸国は安全性が大幅に劣る設計の核兵器を製造した。サダム・フセインが核兵器を造っていたなら、彼の敵よりもバグダッドにとって脅威になっていただろう。ある国連査察官はイラクの兵器設計について、「ライフル弾が命中すれば、破裂しかねませんでした。それがこのデスクの端から落っこちるとしたら、わたしはその周辺にいたいと思いません」と語った。
イランは5年前、大規模なデモで緊張していた。デモクラシーを求める「グリーン運動」は手荒く抑圧された。政情不安と核兵器は両立しない。フランス国防省の元職員で核拡散の専門家、ブルーノ・テルトレによれば、目下の核保有9か国のうち、4か国は「何らかの形で核安全保障および/または核使用規制に影響する政情不安を経験したことで知られている」。
テルトレと元ペンタゴン職員のヘンリー・ソコルスキが編集した最近の書籍“Nuclear Weapons Security Crises”(『核兵器安全保障の危機』)は、「1961年春、ド・ゴール大統領に対するクーデターを企んでいたフランス軍将官たちが、フランスがアルジェリア砂漠で実験しようとしていた核爆発装置の奪取を試みた経緯を描写している。「あなたのちっぽけな爆弾を爆発させるのは、ご遠慮いただきたい。われわれのために残しておくのですな。いつでもそれは役に立ちますので」と将軍のひとりが実験任務にあたっていた司令官に説いた。ド・ゴールは予定よりも早く装置を爆発させるように命令し、クーデターは不首尾に終わった。
中国の文化革命のおり、紅衛兵の一団が人の居住する区域の上空の航空路に向けて――極めて危険なことに、たぶん公式指令のないまま独断で――核弾頭ミサイルを発射した。1991年夏の数日間、ソ連の核兵器を統制する手持ち型の小さな装置3セットの全部が、権力掌握とミハイル・ゴルバチョフ大統領打倒を図る軍将校たちの手中にあった。また、世界最速で成長する核兵器を保有する国家、パキスタンでは、1960年代末以降、クーデターが3度勃発し、1980年代末以降、4人の首相が権力の座から追放され、イスラム主義叛徒たちが政府打倒を誓っている。
極上の善意と真摯な思いで核戦争を避けたいと願っても、兵器システムの複雑さ、通信システムの信頼性欠陥、人間の過ちやすさが惨事を招きかねない。キューバのミサイル危機のさい、ジョン・F・ケネディとソ連指導者のニキータ・フルシチョフは衝突回避に全力を尽くした。それでも、彼らの識見と統制を超えた事象――誤ってソ連領空内に迷い込んだアメリカのU2スパイ機、ケネディによる認可のない米軍弾道ミサイルの発射試験、核兵器使用権限の在キューバ・ソ連軍司令官たちとソ連軍潜水艦・艦長たちへの移譲――が、どちらの指導者も望まない戦争を十中八、九、勃発させそうになった。キューバの沖合で19621027日、米軍がソ連軍潜水艦に浮上を強いるために演習爆雷を投下したとき、潜水艦の責任を預かる士官3名のうち、2名が核兵器発射で応戦する方に賛成した。彼らは潜水艦が攻撃されていると誤認したのである。副司令官、ヴァシリ・アルキポフは核兵器使用権限の付与を拒否し、決定は全員一致でなければならなかった。アルキポフの拒否が世界初の核戦争を阻止したのである。
イランの技術、政治、統率力の課題を考えると、核兵器の追求は、惨事への招待状に思える。おまけに、イランは1970年に核拡散防止条約に署名している。核爆弾の獲得は条約の侵犯になり、他の国ぐにの条約侵犯を促し、イスラエルの核施設に対する国際査察の受け入れを思いとどまらせることになる。中東における核軍拡競争は、地域のすべての国ぐにを危険にさらす。核爆発の影響は国境線にかかわりなく広がる。また核兵器保有によって、イランは他の核保有諸国の標的になる。
来月の初め、150か国の当局者らがウィーンに集まり、人道に対する核兵器の影響と核兵器禁止条約に関して議論する。20世紀の世界は、幸運にも核のアルマゲドンを回避した。21世紀になって、核兵器は民間人を殺害したり脅迫したりするのに役立つだけであるという、新しい国際世論が浮上しつつある。核兵器の数は、いつの日か、ゼロに達するという目標を掲げて、削減しなければならない。新たな核軍拡競争、新たな核保有諸国、核拡散防止体制の崩壊は、この目標に対するアンチテーゼ(反定立、逆行)になる。
他にも理由は多くあるが、これが、イランが核爆弾を保有してはならないわけである。


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