2012年7月23日月曜日

「命の現場」と「経済の論理」~7月23日付け毎日新聞から


715日仙台市、16日名古屋市で開催された「エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会は、相次いで電力会社の原発担当者が登壇して物議をかもしましたが、その騒ぎはまだ収まっていないようです…
【北海道新聞】723
社説:原発意見聴取 国民的議論は形だけか
そんななか、723日付け毎日新聞にこの同じ話題を取り上げたコラムが2本掲載され、いずれも興味深いので、ここに転載させていただきます…

山田孝男
風知草:意見聴取会の激白
毎日新聞 20120723日 東京朝刊

批判続出のエネルギー政策意見聴取会(政府主催)にも功績はある。原発護持の電力会社幹部の激白を引き出し、脱原発派の反発を誘って議論を盛り上げた。政府は今後、電力会社社員の意見表明を認めない方針らしいが、むやみな規制より、何が問題か、激白の中身を点検する方が建設的だろう。
先週の聴取会は電力会社の社員が意見を述べた仙台、名古屋会場の混乱が話題だった。それぞれヤジで中断した。東北電力に届いた抗議の電話・メール100件に対し、中部電力802件。中電はホームページに謝罪文を載せた。最大の反響を巻き起こした中電の課長の発言はどんなものだったか。
会場のヤジを誘ったくだりはこうだった。「放射能の直接的な影響で亡くなった方は(福島原発事故の場合)一人もいらっしゃいません。5年、10年たっても状況は変わらないと思います。疫学のデータから見てまぎれもない事実です。5年、10年たてばわかります」
この種の発言とそれに対する批判は昨年来、何度も繰り返されてきた。なるほど直接被ばくの死者はいないが、統計を盾に内部被ばくの影響なしと割り切ることはできない。
ベラルーシで甲状腺がんの治療にあたった菅谷(すげのや)昭(68)=外科医、長野県松本市長=は「新版チェルノブイリ診療記」(新潮文庫)の序文にこう書いている。「統計上は致死率が高くないとしても、現実には病と闘う子どもがいて、時に命を落とす子どももいた。(中略)机の上で何をどう分析しても命を失う痛みはわからない」
聴取会は11都市で開く。既に5カ所で終えた。インターネットで同時中継し、国家戦略室のホームページに動画を載せているが、アクセス数は少ないらしい。むべなるかな、前半は大臣あいさつと官僚の説明だし、進行も円滑にはいかない。
だが、動画を追うとニュースから抜け落ちた部分が見えてくる。中電の課長の発言は「経済成長なくして幸福なし」というメッセージの一部だ。この人はこうも言っていた。
「実質的な福島の被害って何でしょう。警戒区域設定で家や仕事を失ったり、過剰な食品安全基準値の設定で作物が売れなくなるなど、経済的な影響が安全や生命を侵してしまっている事例だと思います」
「経済が冷え込み、企業の国際競争力が低下すれば福島事故以上か、それ以上のことが起きると考えています」
逆風の中、顔も名前も明かして所信を述べた勇気には敬意を表するが、原発を動かさなければもっとひどい事故が起きるという主張は常識を超える。カネさえ回れば万事解決という確信も疑問だが、「成長なくして幸福なし」という感覚は経済大国のエスタブリッシュメントに共通する本音だろう。
そんな幸福観とは相いれない意見陳述が多かった。名古屋で発表した東京の大学生はこう語って拍手を浴びた。
「なぜ、経済成長が前提になるのでしょう。人口が減り、生産人口はさらに早く減るのに国内のモノやサービスを増やす必要があるでしょうか。欲しいときに欲しいものが、どこでも手に入る大量消費、大量生産の社会は本当に心豊かな社会と言えるでしょうか……」
経済より脱原発か、脱原発より経済か。渡る世間はカネ次第か、そうでないか。明日の幸福観をめぐる論争は歴史的な要請に違いない。(敬称略)(毎週月曜日掲載)

柳田邦男
深呼吸:「命の現場」の視点で検証を
毎日新聞 20120723日 東京朝刊

「福島第1原発事故で放射能の直接的影響で亡くなった人は一人もいない」
中部電力原子力部の課長A氏(46)は、こう言い切ったと報じられている。今月16日、名古屋市内で開かれた今後のエネルギー政策についての政府の第3回意見聴取会で、抽選で選ばれた発言者9人の一人としての発言だ。
A氏は「個人としての意見」と断っていたが、原発担当の現役の課長である。原発推進の意見を述べるのは、当然のことだろうが、私が《えっ》と驚き、《やっぱりそうだったのか》と、暗たんたる思いにさせられたのは、右の発言だった。
確かに東京電力福島第1原発の事故で放射能の直接的影響によって誰かが死亡したという報告はない。しかし、原発事故の特異性と深刻さは、直接的死者数ではとらえられないところにある。
事故によって大量の放射性物質が放出されたために、周辺の住民や病院の入院患者・福祉施設の入所者などが緊急避難を余儀なくされたが、とくに原発立地の大熊町の双葉病院では、県、自衛隊、警察による救出・搬送の混乱から、搬送中だけでも高齢の重症患者15人が死亡した。
また、復興庁の震災関連死に関する検討会の調査によると、福島県内の災害関連死者数は今年の3月末現在で761人に上り、その多くは原発事故避難者とみられている。
死亡原因は「避難所等への移動中の肉体的疲労・精神的疲労」(双葉病院の死者はこれに該当)と「避難所等における生活の肉体的・精神的疲労」が圧倒的に多く、「病院の機能停止(転院を含む)による既往症の増悪」もかなりの数に上っている。避難者以外でも「原発事故・放射能汚染に対する不安などのストレスによる肉体的・精神的負担」が死因に関係していると診断された例も21人いる。
このように死亡者数という明確な形で表れた被害は、氷山の一角と言ってよい。放射能汚染によって、住みなれた家やまち、むらに帰れなくなり、職を失い、農業・畜産業を続けられなくなり、慣れない遠方の地で長期にわたる避難生活を強いられ、生活・人生を破壊された人々の被害の深刻さは、数字では表せない。
1年以上たっても避難生活を余儀なくされている人々は約16万人に上るが、数字だけでは、深刻さのリアリティーがない。生活。人生は一人ひとり違う。働き盛りなのに、無気力症に陥って就労しない人々が、かなりの数に上る。親子・夫婦にも亀裂が入った家族が少なくない。子どもの教育・保育に悩む親が多い。放射線被ばくを避けるため、屋外で遊ばないうちに、ゲームや携帯の依存症に陥った子どもも少なくない。悲劇が16万件起きていると言えば、現実感に近いと言えるだろう。
中部電力のA氏が「放射能の直接的影響で亡くなった人は一人もいない」と発言したねらいは、その後に続く「(政府は)原子力のリスクを過大評価している」という発言との文脈から明白である。福島原発事故の被害は大したことでないのに、騒ぎ過ぎる。この程度のリスクで、原発推進にブレーキをかけるべきではないという論理だ。電力会社の幹部にそのような確信を抱かせる根底にあるものは、何なのか。私はこう考える。
① 被害の現場に身を置いて問題を直視しようとする発想がない。集団避難所や辺ぴな土地の仮設住宅で子育てをしなければならない親や高齢者がどんな苦難を強いられているか、その「命の現場」に身を置いて自己検証をすべきだ。
② 乾いた「三人称の視点」でしか事故を見ていない。人間の命には人称性がある。私がどう生きどう死ぬかは、「一人称の視点」。大切な家族の生と死にどう対応するかは、「二人称の視点」。一般の人々の命を見る富僚、企業人などの目は、「二人称の視点」。客観性、平等性を重視するあまり、机上の理屈や数字を根拠に乾いた目で事故や災害を見がちだ。《これがもし自分の家族だったら》と「一人称、二人称の視点」に寄り添う潤いのある目を、官僚や公共性の強い企業人が持つように変革しない限り、国民の命は守られない。
③ 原発とは、プラントの安全性だけで成り立つものではない。地域の人々の命や生活の安全を不可欠の条件とする社会システムなのだという意識が、電力会社には希薄だ。
A氏の発言は図らずも電力会社の安全意識のゆがみを露呈したと言えよう。原発の安全性は住民・被害者の視点からの徹底検証が必要なのだ。
やなぎだ・くにお 作家。次回は820日に掲載します。       2012.7.23

1 件のコメント:

  1. わたしの友人T.S.さんからのEメールによる、コメント投稿です…

     本当に不思議です。農家の死を知らないのではないだろうか。放射線が安全で爆発しても死なないのなら、なんでみんな避難させられたのだろう。会社に言わされているならまだしも、個人としてのあの発言は、想像力のなさと情報のなさ。普通だったら、同業者として、もし、自分の会社があの事故を起こしたとしたら、と思わないだろうか。わたしだったら、死んでも死にきれない。償っても償いきれない。
     電力を無意識に使っている、原発の問題に気付きながらも積極的に取り組んでこなかったということで、後悔した人一般の消費者はとても多いと思うのだけど。
     もちろん、誰が何を言おうと、勝手ですが、ああいう考えの人たちが普通に電力会社にいて、そういう感覚で仕事をしているのなら、東電の社員も同じ感覚なら、原発事故は地震や津波が起こしたのではなく、人が起こしたのだと思わずには居られません。原発反対だけではなく、私たちはさらに考えなくてはいけないことが多くあると思います。

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